首都にあるウランバートル駅は、見た目はほとんどロシア鉄道の駅舎だった。駅の構内やチケットの発券システムも、筆者がこれまでシベリア鉄道で乗り降りした駅と同じで、まるでロシア国内の駅舎そのものだった。これは中国の内モンゴルでは見られないものだ。
われわれが乗ったのは、ウランバートル発でロシア国境の町スフバートル行きの列車だった。これがやたらと楽しかった。この列車の車両は寝台車で、地元のモンゴルの人たちと肌を寄せて触れ合うことになったからだ。
3段式の寝台車にすし詰めになった乗客たちと一緒に過ごすのが、どれだけ心癒されることか。子供たちがたくさんいるので、やたらと騒がしく、突然泣き出す子がいるかと思えば、車内サービスのワゴンに詰め込まれていたソーセージを手にして黙々と口に詰め込んでいる子もいる。
隣の席に座った、めいっぱいおしゃれした若い2人の女性が真剣なまなざしでお互いの境遇について話し込んでいたかと思えば、突然弾けるように笑い出すといった様子も楽しくさせてくれる。まるで人さまのお宅に透明人間にでもなって勝手に居させてもらっているような心持ちだ。そういう光景のなかに自分がいることが夢のような気がしてくるのだ。
中国では、これまで何度も鉄道旅行を経験してきたが、この10年で一気に高速鉄道化が進み、味気ないものになってしまった。高速鉄道の食堂車両は現代的で快適なのだが、メニューは冷凍弁当をレンジでチンしたものしかない。
かつて中国で寝台列車に乗ったときは、必ず食堂車に足を運んだ。油まみれで床がべとべとした食堂車で、洗いざらしの白いクロスを敷いたテーブルの上に運ばれてきたのは、奥の厨房で手早く炒めた油でギトギトの料理とご飯、スープ付きの定食だった。これをぬるいビールで流し込むように呑み込み、おなかを満たしたという思い出は、もう過去のものだ。
今回乗ったモンゴル鉄道では、食堂車に行く時間はなかったものの、かつてのアジアの鉄道旅行そのものだった。
とにかく走行速度はのろい。そのぶん車窓の風景はゆっくり移り変わっていくが、いったん街の外へ出て、草原を走り出すと、まるで時間が止まったように風景は変わらない。だから、ウランバートルから3つめのダワーニ(Давааны)駅に着くまでに1時間近くかかったのだった。おそらく車のほうが早かっただろう。
ただ、このダワーニ駅が素敵すぎた。草原にある無人駅で、駅舎もホームもなく、乗客は線路の脇の地面にじかに降りることになる。やがて鉄道は汽笛を鳴らし、果てしなく広がる草原の彼方に向かってゆるゆると走り去っていく。その様は、まるで銀河鉄道のようではないかと思ったものである。
この鉄道の旅が最初の忘れがたい思い出で、もうひとつも、静かにだが深く鮮明に記憶に残るものであった。


