有害言語増と進化的ミスマッチ
どうしてこうなったのか。私たち現代人には何か特別なところがあるのだろうか。実は、むしろ私たち人間が古代より変わっていないからこそ、現在の状況があるのである。
ここで進化的ミスマッチという概念が役にたつ。
進化的ミスマッチは簡単な発想で、とある環境Aに合わせて進化した特徴が、別の環境Bにはマッチせずに、いろいろと不具合を引き起こすというものである。
進化的ミスマッチの例としては、私たちが糖や脂をおいしいと感じる生理学的特徴があげられるだろう。この特徴──おそらくほかの動物の多くも共有している──が進化してきた環境には、自生する果物や芋など限られたカロリー源しか存在しない。例えばあなたが1万年前を生きる人類ならば、もし幸運にも甘いハチミツを見つけたら、生き残るために、できるだけそれを食べるべきなのだ。
しかし、加工食品に囲まれた、毎日がホテルビュッフェのような環境に、同じ特徴はミスマッチである。食べ過ぎによって高血圧やダイアベティス(糖尿病)になってしまうからだ。1万年といった短い期間では、大きく遺伝子は変わらない。人間は昔も今もだいたい同じで、現在の環境にうまくマッチしていない。
オンライン上の有害言語の氾濫も、進化的ミスマッチの帰結であると私は考える。人類はそもそもおしゃべりで、時に悪口を言う生き物である。そこに、情報技術が導入され、悪口を言うチャンスが爆発的に増えてしまったのだ。
考古学や人類学の研究を踏まえると、人間が現在のような姿になった環境は、小規模の狩猟採集生活のようである。そこでは、人々はおおよそ30人程度でのキャンプ生活を行い、しばしば複数のキャンプが合流し150人程度の共同体を形成していた。そして、人間の社会性というものは、こうした集団を維持したり、集団にフィットしたりするために進化したと思われる。
キャンプ生活においては、みなと協力して食糧を集め危険な野生動物や災害などから身を守らなければならない。文字通り、ひとりでは生きていけない。そのため、私たちは人間についての情報に敏感になった。自分が仲間から受け入れられているのか、誰が誰と仲が良いのか、誰が狩りが得意なのか、そういった情報に高い関心を抱くように、私たちはある意味、設計されているのだ。
そうした心理学的な特徴は、隣人とキャンプ生活を仲良くやっていくために有効だっただろう。誰かがたくさん魚を獲ったなら、キノコと交換してもらわなければならない。しかし、同じ特徴が今は暴走している。何千キロも離れたところに住んでいるスポーツ選手が、どんな車に乗っているかといった、私たちの人生にとって何の意味もない情報が気になって仕方がないのである。同じように何千キロも離れた、森のなかに自生する草の種類について、同じ熱意をもって知りたいと思うかどうか、自分に聞いてみるといい。私たちは「社会的情報」、つまり人間にかかわる情報に特に敏感なのである。


