ただ、この状況は、「あの頃は良かった」という懐古的、センチメンタルな側面だけで捉えるのは足りないように思います。
資本主義経済では価格優位性や革新的な技術や製品が作用して、かつて日常的に使われていた製品や文化がなくなることは今までの歴史の中でたくさんありました。ブラックベリーやiPhoneが日本の携帯電話を一掃してしまった状況と一緒で、社会や経済の変化に対応できなかった、もしくはその努力をしなかったために、産業の衰退が続いたのだとも言えます。
ある日本の産地では、海外で安価で大量につくれる状況を自分たちで創り出した結果、その海外の地域が独自で生産をしだして同じ製品を持って日本のマーケットに入ってきてしまい、太刀打ちできなくなってしまったというケースもあり、時を経て自分たちの首を絞める結果になったという輪廻とも言える状況もありました。
欧州ではフランスのシルク産業やドイツの刃物など、歴史ある大規模なものづくりの地域産業が現在はほとんどなくなってしまったケースもあり、例えばトヨタの自動車産業が日本から消滅するようなインパクトですが、そういった可能性が今後ゼロとは誰にも言い切れません。

また、単純に「海外の安価な物が悪い」という側面だけを話すのも(上記の実体験では相当苦労させられましたが)全てを物語っていないようにも感じます。
安価な生産を担う海外の産地では、時に劣悪な労働環境というところもあり、人権問題はファッション産業の重要なテーマとしてクリアをしていくことが大前提です。そのうえで、彼らには彼らの生活と人生があり、彼らも日銭を稼ぐ必要があります。
最近、僕の暮らすデュッセルドルフで中国の映像作家、ワン・ビンの展覧会があり観に行ってきましたが、そのドキュメンタリー映像では縫製工場で働く市井の人々の生活や感情が描き出されていて、そこにも人の営みがあると感じていました。一度そのサプライチェーンをつくってしまった以上、つくった側(企業)には、生産者の生活を担保する社会的な責任もあります。
では、この1.4%と言う数字をどのように捉えて、何を変えて何を守るのか。日本のものづくり産業はこれからなくなるもの、いらない過去の遺産として捉えることもできますが、考え方によっては、世界で見ても希少性のあるもの、地域性のあるストーリーとして捉えられる可能性もあります。
日本には世界と比較してもさまざまな地域に根付いた工芸があります。現在経済産業省の伝産法では、地域に100年以上の歴史がある、素材や工法が伝統的なもの、という幾つかの条件をクリアしたものを「伝統的工芸品」として指定していますが、日本には北海道から沖縄までにそれが243種もあります(2024年10月17日時点)。
そのなかには織や染めなど繊維産業につながるものも多くあります。日本には織物、染め物の長い歴史、地域性に特徴があり、また今では他の国ではできない技術や素材があります。そこが日本の繊維産業やものづくりの魅力を作る源泉になっているのです。


