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2025.06.15 14:15

戸籍に刻まれた「過去」と、「今」を生きること|映画「ある男」

BLGKV / Shutterstock.com

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5月中頃、選択的夫婦別姓議論から飛び火した「戸籍いらない」議論が、ネット上を賑わせていた。戸籍不要論はこれまでにも度々出ている。個人を家族単位で登録、管理するこの制度を廃止し、マイナンバー制度の拡充によって国民管理を個人単位にすべきという議論もある。実際、戸籍制度を維持しているのは世界では日本と台湾のみだ。

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戸籍制度の基本的役割は、家族・親族関係の公的証明であり、それらは相続、婚姻、親権、扶養など、法律上の権利や義務の根拠となっている。家族という単位が実際に機能している以上、戸籍制度によって守られているものは依然として大きい。今後はその機能を維持しながら、運用上、より現実に即したかたちに再設計されていくことになるだろう。

戸籍とは個人をその出自や血縁関係で示し、それらにまつわるアイデンティティを支えるものだが、それだけに、血縁や出自から自由に生きたいと願う人、そこにアイデンティティを置かない人にとっては頸木となることもある。

『ある男』(石川慶監督、2022)は、普段我々が意識しないそんな戸籍の二面性を浮かび上がらせた作品である。登場するのは、戸籍を他人と交換し、まったくの別人として新しい人生を生きようとしたある男。”別人後”にひっそりと結婚し幸せな家庭を持ったものの不慮の事故で死亡し、別人の遺族が現れて遺影を本人ではないと断定したことから、彼は一体誰だったのか?という謎を巡って、残された妻と子、彼らの弁護士のドラマが展開していく。

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原作の平野啓一郎の長編小説『ある男』との主な違いは、前半、結婚後の情景にポイントが置かれ、戸籍交換した相手の男の描写が大幅に削られ、弁護士をめぐるシーンの構成が一部変わっていることだ。途切れたように終わるラストの効果もあり、ミステリー的な後味が強くなっている。第46回日本アカデミー賞では、同年最多の8部門を受賞し話題となった。

物語が始まる前に映し出されるのは、どこかのバーの壁面に架けられたマグリットの『複製禁止』。鏡を見ている男が背後から描かれており、鏡に映った男の像もまったく同様に背中を見せている。鏡の中で反復される自分は何者なのか?という問い━━。別の人生を「複製」する戸籍交換をモチーフにした本作を象徴するような絵だ。

興味深いのは、ドラマ中に数回登場する、主人公の弁護士・城戸(妻夫木聡)の後ろ姿のショットが、最終的にこの絵のイメージと重ね合わされる点だ。

2023年8月25日、韓国ソウルのロッテシネマで行われた『ある男』プレス試写会に出席した妻夫木聡(Photo by Han Myung-Gu/WireImage)
2023年8月25日、韓国ソウルのロッテシネマで行われた『ある男』プレス試写会に出席した妻夫木聡(Photo by Han Myung-Gu/WireImage)
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文=大野左紀子

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