映画

2025.06.15 14:15

戸籍に刻まれた「過去」と、「今」を生きること|映画「ある男」

BLGKV / Shutterstock.com

城戸をもっとも刺激するのは、別のなりすまし事件の仲介人として服役中の戸籍仲買人・小見浦(柄本明)である。面会してすぐに城戸が在日コリアンであることを看破するこの不気味な男の、露悪的で人を逆撫でするような態度の中には、どこか底知れないものが感じられる。それは、戸籍を変えて第二の人生を送りたいと渇望する人々、取引され別人の証明となる戸籍というものの面妖さを、社会の裏で長年見てきた人間の底知れなさと言ってもよい。

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小見浦の見てきた世界は、城戸のようにルーツは朝鮮だが法的、社会的には日本人で人並み以上の成功も収めてきた人間が出会うことのない、しかし実は隣接している世界である。「人の本質は出自や姓名ではなく、どう生きているかということにある」とは言え、この社会では出自や姓名で負のレッテルを貼られて生きづらい人々が存在しており、そのことは城戸自身が知悉しているのだ。

事務所に招いた谷口恭一が、男Xの戸籍交換について「死刑囚の息子は死刑囚の息子でしょ」と吐き捨てるのに、「こうしないと生きられない人がいるんですよ!」と思わず声を荒げた城戸の中には、男Xへの同情と共に、国籍を変え日本人として登録された自分を肯定したい気持ちが混じっていただろう。

ラスト近く、スマホの通知から妻の浮気を知ってしまった城戸が、何事もなかったようにやりすごす場面は印象的だ。夫婦関係が破綻していると知っても、幼い息子もいるこの生活を今更手放して、新たな第二の人生を始める決断はできない。そのことを彼は、醒め切った諦観の中で深く自覚していただろう。

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だから最後に城戸は、マグリットの絵の掛かったバーで、たまたま隣り合わせた人を相手に「別人」を演じたのである。その名が城戸の口から発せられる直前に暗転して映画は終わるが、それが本作の核である、戸籍上は存在しているものの誰にも紐ついていない名であることは、おそらく間違いない。

そんな「どこにもいない人物」になりすまし、戸籍も含めてさまざまな社会関係に絡め取られた自分を一時でも忘れてみたい‥‥という心理は、意外と多くの人が抱えているのではないだろうか。

連載:映画は世界を映してる
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文=大野左紀子

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