ところで、男Xの戸籍問題に関わりながら、ほとんど真逆の精神的プロセスを辿っていく二人がいる。里枝の息子・悠人と、弁護士・城戸だ。二人を比較してみよう。
幼い頃に母の離婚で実父と別れ、「大祐」を本当の父のように慕っていた悠人は、再び父を失った当初、大きな混乱の中にいる。「また苗字変わるの?」「僕、次、誰になればいいの?」と里枝に問う様子には、アイデンティティの不安が滲んでいる。
苗字を谷口から母の武本に戻さねばならないことを里枝から告げられる場面では、母を慮る中でそれまで抑圧してきた、父を失った寂しさを涙と共に吐露する。
最後に悠人は、父だった男Xの過去に関する調査報告書を読み、事実を冷静に受け止めるまでに恢復、成長している。彼にとって「谷口大祐」と名乗る優しい父と過ごした三年九カ月こそが宝物であり、苗字の変更で振り回されたことは既に二次的な問題だ。「人の本質は出自や姓名ではなく、どう生きているかということにある」ことを、悠人は男Xとの生活で学んだのである。
一方、城戸は当初から、突然不幸に見舞われた母子の弁護士として第三者的な立場を確保しており、その職業上の姿勢は最後まで崩れることはない。しかし一見非の打ちどころのない彼の家庭の情景からは、時折ひんやりしたものが感じられる。
城戸は在日コリアン3世で日本国籍を取得しており、ほとんど日本人のアイデンティティで生きてきた。資産家の義両親と妻・香織はもちろんそのことを知っているが、在日外国人の現実に対しては冷淡だ。排外主義者のデモをテレビで見て心をざわめかせる城戸と、そんな夫が理解できない妻の間には、普段は表面化しない重要な価値観の相違があることがうかがわれる。
その現実から逃れるようにますます調査に没頭しながら、城戸の当初の安定感は次第に失われていく。妻とのシーンに若干緊張したムードが漂うのに対し、快活な美涼とのシーンではリラックスした中に互いのほのかな好意が垣間見えるのも、その現れの一つだ。


