まず城戸が登場するまでに描かれる発端の出来事を、ざっと見ておこう。
宮崎県のある小さな町で文房具店を営む武本里枝(安藤サクラ)は、13歳の息子・悠人、母と暮らすシングルマザー。悠人の幼い弟を病死で失っており、そのことが原因で離婚し実家に帰ってきている。店に時々訪れるようになった「谷口大祐」と名乗る男(窪田正孝)と彼女が親しくなり、互いに惹かれていく過程は、非常に繊細に描かれる。
二人が結婚した数年後のシーンでは、悠人はよく「大祐」になつき、女の子も生まれている。しかし絵に描いたように幸せな家族の日々は、林業に従事していた「大祐」の不慮の事故死で突然中断されてしまう。
群馬の伊香保温泉の老舗旅館の次男で家族とは絶縁状態だと「大祐」から聞かされ、連絡も取っていなかった里枝だったが、墓の件もあり思い切って一周忌に招いた大祐の兄・恭一(眞島秀和)から、遺影の写真は大祐ではないと言われ、驚愕する。
彼女は離婚時に世話になった弁護士・城戸に相談、城戸は調査の結果、谷口大祐と名乗っていた男Xは谷口本人ではないこと、従って里枝と谷口大祐との婚姻関係はもともとなかったことになると、彼女に告げる。
さらに城戸は群馬に飛び、谷口大祐の兄・恭一や元彼女の美涼(清野菜名)に会い、彼が実際に実家と酷く折り合いが悪く、ある日突然姿を消していたことを知る。
こうして城戸は、戸籍を変え谷口になった男Xの身元調査と、今は別名を名乗っているはずの本物の谷口大祐探しに、弁護士の職分を越える熱心さでのめり込んでいく。彼がなぜそれほどまでにこの件に深く関わっていこうとするのかは、観客に投げかけられたもう一つのミステリーと言えよう。
城戸の調査の中で次第に浮かび上がってくるのは、男Xの子供時代の過酷な境遇、「人殺しの子供」というスティグマによる差別、ボクサーになった悲し過ぎる動機と自殺未遂、失踪など、彼が戸籍を変え、里枝に出会って良き家庭人となるまでの壮絶な人生だ。
どうしても実名と、そこに紐つけられる禍々しい血縁の記憶から逃れ、新しい人生を手に入れたかった男X。地面をのたうち回って慟哭する彼を俯瞰から捉えたシーンには、どこにも持って行き場のない孤独な苦しみが漲っている。
しかし、ボクサー時代の本名の彼を懐かしむジムの人々の証言からは、男Xの生真面目さとともに「人の本質は出自や姓名ではなく、どう生きているかということにある」という本作の命題が伝わってくる。


