マーケティング

2025.06.07 14:15

終わりの作法ー「記憶の中の残り方」が、ビジネスの関係性を決めている

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人の記憶に「残る」ことの意味

一個人も然り、ビジネスの場では、「信頼を得る」ことが頻繁に語られるが、実際には「忘れられない存在でいること」がそれ以上に重要な意味を持つ。それは製品やブランドにおいても同様。体験の満足度だけでなく「記憶にどう定着するか」が継続的な選択や推奨を左右する。逆にいえば、「思い出すに値しない」と判定された瞬間から、ブランドは消費者の意思決定の対象から静かに外されていく。

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名前を忘れられるという現象は、個人に限らない。組織や企業、ブランドにも起こりうる。それは目立った失敗や炎上によるものではなく、終わり方の雑さ、配慮の欠如、信頼の継続に対する誠意の不足によって引き起こされる。記憶とは、情報を保管する場所ではなく、“意味”を取捨選択する装置だ。記憶されることも、記憶されないことも、すべてが「構造的な評価」なのだ。情報は管理のされ方によるけれど記録として残る。だが、人が「覚えている」かどうかは別だ。脳は、意味のないもの・害のあるもの・不要なものの前に、静かに"幕を下ろす"。

今回、筆者が経験した出来事で思い知ったのは、「名前が抜ける」という現象は、怒りでも拒絶でもなく、記憶の中でその人との関係性が"終了処理"されたことの現れだということだ。

この話には後日談がある。実は、ふとしたことから当該の人物の名前がふと蘇った。しかし面白いことに、それはただの音であり、文字列でしかなかった。記憶されている、意味を持った名前とは、ある種立体的で、まさに「存在」だ。しかし、その名前はもはや苦い思い出でさえなく(実際まだ比較的新しい事柄なので、思い出と変化するにも年数が足りていない)、思い出したがふっと消えていった。そして、思い出しても、感情は一切揺れないだけでなく、一瞬で凪となり、次の瞬間風で砂が飛ばされるかのように、ふっと空に消えていくような感覚さえ覚えた。

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人との関係性は、契約や名刺やメールの履歴ではなく、「記憶の中にどう残っているか」によって決まる。そしてその記憶は、冷静で静かな判断の中で、無意識のうちに取捨選択されていく。

忘却とは、感情の鈍化ではない。それは、人間に与えられた"生きるための知的機能"だ。記憶を意図的に抑制する脳の働きは、私たちが前に進むための構造でもある。憎まれる、嫌われる。そこにはまだ存在の影がある。けれど、思い出されなくなった名前、呼ばれることのない存在、それは、すでに終わったということだ。

人も、企業も、ブランドも。忘れられることの意味を見誤ってはいけない。名前を留めてもらうこと、それ自体が信頼と関係の持続を示す"成果"なのだ。

文=日野江都子

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