価値は人がつけるもの。藤原ヒロシが自ら語ることを嫌うワケ

藤原ヒロシ

藤原ヒロシ

非言語マーケティング。この逆説的な言葉は、カルチャーシーンを牽引する藤原ヒロシにまつわる新著のテーマだ。 データや説明的な情報にあふれる社会で、あえて「語らない」ことは何をもたらすのだろうか。

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──現在、以前にも増して「アートを巡る言葉」が氾濫しているように思います。 

多くの人がアートについて語ることは、作品についてさまざまな視点からの意見や解釈を生むので良いことだと思います。アート作品を決まりきった解釈でしか評価できなくなるのはつまらない。誰もが自由に意見を述べることのできる余地があってほしい。だから、アーティストが自身の言葉で作品を説明し尽くしては面白みが減ると思います。

──アート作品の「芸術的価値」と「経済的価値」は別のものだと考えますか?

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一定以上の値のつく作品が芸術的価値をまったく含まないことはさすがにないと思います。また、アートであっても市場に出たら経済の波に揉まれることになる以上、そこでの評価を無視することはできない。誰であっても自分のもっている作品の値段が下がるよりは上がるほうがいいでしょうし。

──藤原さんにとって、アートの価値とは?

僕は「良い・悪い」ではなく、個人的な「好き・嫌い」でしか判断しません。だから、一般的な評価を否定はしないけれど、あまり気にしない。音楽でも服でもそうなんですが、特にアートに関しては直感的に好きかどうかを優先します。アートはこの世にひとつしかないものだから、誰かを真似て手に入れようとしてもできないので。でも、世の中の多くの人が一般的な評価や誰かの意見を自分の直感より優先しているとは思います。

──では、藤原さんのクリエイションが価値をもつのは、どんなときだと思いますか?

僕が好きなものをつくって、誰かが「これ、好きだな」と思ってくれたら良い。価値は人がつけるもので、僕が決めるものではないから。だから、自分のつくったものについてはあまり語りたくないですね。それこそ、僕が考えるアートの良さのひとつに、作家が作品を説明する必要がないというのがある。作品の説明は批評家やジャーナリストの仕事であって、アーティストのやるべきことではない。そして、こういうアートのあり方がほかのビジネスの場面にもう少しあっても良いと思います。 

──コマーシャルな世界であっても「語り過ぎない」ことが必要ということですか?

物にもよるでしょうけれどね。マスマーケットが対象で、例えば医療品のように目的が明確であれば伝わりやすい説明が必要だろうけれど、受け取る側の感性次第で自由に解釈できる余地を残したメッセージがもっとあっても良いのでは。昔はTVCMにも、そうした謎めいたものがあった気がします。 

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文=鈴木哲也 写真=若原瑞昌

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