AIは「普通の技術」にすぎないという主張
仮に、あなたや知人が「AIは『普通の技術』にすぎない」と考える立場にいるとしよう。
どうしてそのような結論に至るのか。
ひとつの見方としては、従来型AIは「ごく一般的なコンピューターサーバー上で動作し、普通の入力と出力を扱い、人間が設計したアルゴリズムを用いているにすぎない」という点が挙げられる。すべてビットとバイトの世界であり、魔法の呪文もなければ怪しげな儀式も存在しない。
しかし、多くの人が現代のAIに対する世間の認識を大騒ぎに、あるいは茶番劇にまで変えてしまったようだ。一部のAI関係者は、生成AIや大規模言語モデルに意識や自己意識の「萌芽」を見ていると主張することで、この超常的なオーラの感覚に貢献している。だが残念ながら、これらの壮大なビジョンは否定されている。
現代のAIに関する偽物や過度の宣言にうんざりしている冷静なAI関係者たちは、もう十分だと宣言している。一線を引く時が来た。水上を歩き、ひと跳びで高層ビルを飛び越えるAIについてのナンセンスは脇に置こう。現実的になろう。
砂の上に境界線を引く動き
米国時間2023年4月15日、コロンビア大のKnight First Amendment Instituteの後援のもと、アルヴィンド・ナラヤナンとサヤシュ・カプールが共同執筆した論文「AI as Normal Technology』(普通の技術としてのAI)が公開された。この論文では、以下のような点が強調されている:
「私たちはAIを『普通の技術』とみなすビジョンを提示する。ここでいう普通とは、その影響を過小評価するという意味ではない。電気やインターネットのような変革的で汎用的な技術であっても、私たちの概念では『普通』に含まれる」。
「しかし、それはAIを高い自律性を持つ超知能的な別種の存在とみなすような、ユートピア的あるいはディストピア的な未来観とは対照的なものだ」。
「『AIは普通の技術である』という主張は、現在のAIを説明するものであり、近い将来のAIについての予測であり、さらにそれをどう扱うべきかという処方箋でもある」。
「私たちはAIを、人間が制御可能で、かつ制御を続けるべきツールだと見なしており、そのための抜本的な政策介入や技術的に大規模なブレークスルーは必要ないと考える。AIを人間のような知性とみなすことは、現時点でも将来においても、社会的影響を理解するうえで正確・有用とは思えない」。
この論文の主張は激しい反響を呼んだ。AIに対する極端な恐怖や過剰な煽り――たとえば「AIが人類を滅ぼす」という終末論的な見出しなど――を見直すべきだと主張していた人々にとって、AIは単なる通常技術だという見方は魅力的に映るだろう。一方で、「これはAIに関するガスライティング(誇張・歪曲・詐欺)を逆手に取った別種のガスライティングではないか」という批判もある。
なお、同論文では「AIは普通の技術」と考えるに至った詳しい背景や論拠がさらに深掘りされているので、興味があれば原文を通して確認するとよい。


