その証拠としてウェーバーは、最初期のとりわけ企業家精神に富んだ資本家たちが、きわめて信心深く禁欲的で敬虔なキリスト教徒だったことを強調する。そうした資本家たちはこの世の楽しみを斥け、みずからのニーズを神への奉仕という抽象理念へ理想化しようとしていた。こうした特徴は、つねに勤勉を求める産業の要求とうまく合致した。
罪を癒やすのは眠りだけではない。仕事もまたその役目を果たす。その後の研究で確認されているように、16世紀と17世紀の英米の紡績工場、鋳物工場、造船所で仕事を組織化しようとする初期の試みをもっぱら担っていたのは、カルヴァン派、クエーカー、その他の敬虔なキリスト教徒といったプロテスタントの諸宗派だった。これらの敬虔な信者たちは暇を諸悪の根源と見なしていた。
1850年代には、イギリスの産業界で労働時間が週70時間ほどになり、アメリカではさらにもう少し長くなって、人類はかつてなくたくさん働くようになった──またその後、これほど働くこともなくなる。産業化によって空前の利益と富が生み出され、新規事業と事業拡大に再投資された。現代のひときわ重要な発明の多くはこの時期に生まれ、人々は身を粉にして働いた。そのため当時は希望がふくらんでいた。新たにもたらされた豊かさによって、将来は誰もがさらなる自由時間を得られると期待されていたのだ。
肉体労働がかなり減っても別のかたちで働きづめに
1880年から1940年までは大きな進歩の時代であり、この時期に電気、蒸気機関、列車、農業機械、エンジン、電話、予防接種、自動車、飛行機、下水設備、タイプライター、蓄音機、ラジオ、ペニシリンといった技術が野火のように広がった。懸命な働きが見事な進歩につながり、すばらしい新世界への期待が高まった。蒸気機関と、のちにディーゼルエンジンのおかげで、肉体労働がかなり減った。
ようやく少しくつろげる日が近づいてきた? 残念ながら、そんなことはなかった。また別のかたちで働きづめになり、職場から快適なハンモックへの大脱出は阻まれたのだ。
19世紀終盤に工場労働者たちが汚れたオーバーオールを次々と脱ぎはじめ、たいていそれを永遠に放棄して、爪をきれいにし、ペンを持つようになった。資本主義の精神はそのまま残った。当然、人は働かなければならない。場所が「オフィス」に変わっただけだ。
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