もちろん、石器時代の生活は別の意味で厳しかった。暴力がはびこり、病気が蔓延していて、平均寿命は30歳台だった。だが、働きすぎで死ぬことはなかった。状況が変わりはじめたのは、農業の出現によってである。
農業はすばらしいアイデアのように思える。家族ははるかに多くの人数を養うことができ、定住地をつくって土地を有効に活用できるからだ。
だが食料を手に入れるのに数か月も余計にかかるため、はるかに懸命に働かなければならなくなり、2000年ほどのちには、新しい農民階層はかつての2倍働くようになっていた。多くの点で、農業は短絡的な戦略だったようだ。われわれの祖先の農民は、自宅の小屋をのぞき込み、腹を空かせて口をひらく10人の顔を見て、鋤を手に入れたのはそれほどいいアイデアだったのかと疑問に思わなかっただろうか?
そんなふうに思う瞬間はおそらくなかった。当然である。選択がおかしいと気づくのは、あとで振り返ってみたときだけだ。最初の農業従事者たちには、おそらく農業は天の恵みと感じられただろう。だが農業のせいで疲弊していたことはまちがいなく、当時の人骨の研究がはっきりとそれを証明している。
さらにあとの時代になると、13世紀イングランドの平均的な農民は、年間1620時間働いていたと推測されている。石器時代の700時間とは雲泥の差だ。だがその後、状況はいっそう悪化する。不幸なことに、さらなる「進歩」がやってくるのだ。
人々は会社に「魂」を売った──救済としての仕事
19世紀終わり、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、長年の疑問への興味深い答えにたどり着いた。イギリスからはじまり、その後アメリカを襲った産業革命は、どうして南欧とドイツにはなかなか到達しなかったのだろう?
ウェーバーはこの謎の解明に没頭し、1904年、資本主義についての最初の思想史書となった古典『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書き上げた。同書でウェーバーは大胆な結論を出している。プロテスタントの宗教改革が現代の資本主義産業へ道をひらいたというのがその結論である。
つまり、ウェーバーの考えでは、技術ではなく思想が蒸気機関のきっかけになり、のちに工場と賃金労働も生んだというわけだ。


