Netflix(ネットフリックス)のドラマシリーズ『アドレセンス』の最も興味深い点は、演技や撮影技術のすばらしさでも、15歳の俳優、オーウェン・クーパーの現実離れした完成度でもない。
この作品を際立たせるのは、それが世界中に巻き起こした議論だ。およそ80カ国で「最も視聴されたドラマ」になるという予想外の成功を収めたこのシリーズは、年齢も国籍も問わず、文化も大陸も超えて、そのストーリーに対する感想や考えなどを共有することができるだろう。
これは、イングランド北部で撮影された、わずか4話からなるダークなドラマシリーズとしては、なかなか優れた結果だ。殺人ミステリー、法廷劇、心理学者による分析など、間違いなく人気が出そうなテーマを取り入れた作品でもある。
だがそれ以上に、このドラマで触れられているのは、今まさに私たちを苦しめている、3つの根深い恐怖だ。それが、視聴する私たちに息をのませる。まるで、みぞおちにパンチを食らわせるように──。
子育ての「不可能性」
いつの時代も、親たちは子どもたちが何をしているのか、なかなか理解できないものだ。どの時代の親たちも、子どもの行動に首をかしげてきた。だが、人類の歴史において今ほど、親が子どもたちの行動、発言、コミュニケーションの取り方に関する理解力を失ったことはなかった。
『アドレセンス』に登場する親たちのように、私たちの多くはただ肩をすくめ、「そういうものなのだろう」と受け入れるしかない。そして、このドラマはまさにその部分で、親たちの心の脆い部分に、執拗に指を突きつける。
夕食のために階下に降りてくる直前、子どもたちが閉じた自分の部屋のドアの向こうで、何か本当に、本当に悪いことをしていたとしたら?いくら子どものノートパソコンや携帯電話にアクセスできるようにしていても、SNS上で飛び交う言葉や記号、絵文字などを理解することさえできなかったら──?
テクノロジーがあまりにも急速に変化し、(1981年~1990年代前半生まれの)ミレニアル世代でさえ、(それ以降、2010年代前半に生まれた)Z世代の習慣を「理解しがたい」と首を横に振るような時代に、さらに年上の親の世代が、子どもたちより一歩先を行ける可能性が、どれだけあるだろうか?



