オールジャパンで戦う体制ができた
日本のエンタメを世界に──。これは中川が長年取り組んできたテーマのひとつだった。原宿で美容師イベントを開いていた中川が「原宿のカラフルポップな世界観は日本独自の価値」と考えてアソビシステムを設立したのは2007年。原宿のトップクリエイターたちを集結させて制作したきゃりーぱみゅぱみゅ「PONPONPON」のMVをYouTubeにアップしたところ、世界中からコメントがついた。
彼女は12年の紅白に出演した翌年、世界ツアーを行った。中川のなかではごく自然なステップだったが、業界の反応は違った。
「日本のエンタメ業界は市場が大きいうえにシステマチックにできていて、国内で売れたら海外にいかなくてもやっていけます。単発で海外公演するケースもありますが、それはおまけ的なもの。『紅白出場して今が稼ぎ時なのに、なぜ海外に』とずいぶん不思議がられました」
果敢に挑戦を繰り返す一方で、課題も感じた。きゃりーぱみゅぱみゅのパリ公演に行ったときのこと。中川は近くの地区で開催されていたKCON(韓国カルチャーのフェス)を覗きに行った。
「韓国が業界全体や国ぐるみでグローバル戦略を立てていたことに衝撃を受けました。日本のエンターテインメントも、オールジャパンで攻めないといけないなと」
その思いから関係者に声をかけてアウトバウンドプロジェクト「MOSHI MOSHI NIPPON」を立ち上げたが、「僕たちの資金だけで追いつかなかった」ため、大きなムーブメントにはならなかった。
風向きが変わったのがコロナ禍だ。ストリーミングや動画投稿サイトなど音楽の新しい楽しみ方はすでに存在していたが、巣ごもり需要によってフィジカルからのシフトが加速。コンテンツのつくり手からすると、世界に発信する垣根がより低くなった。
国も本腰を入れ始めた。経済産業省は24年に有識者会議「エンタメ・クリエイティブ産業政策研究会」を開始。中川も音楽分野の専門委員として呼ばれている。「以前は個社の意見を聞いてもらえると思っていなかった。オールジャパンを本気でやろうとしていると実感しました」。
政府の動きに先駆けて、民間側でも地殻変動が起きていた。従来、音楽業界は独立独歩の気風が強く、他産業と比べて横の連携は少なかった。音楽関係団体も、レコード会社系、音楽事務所系、芸能事務所系、音楽出版系、プロモーター系などに細分化している。しかし23年末に主要5団体がCEIPAを設立。音楽業界がひとつにまとまったのだ。
CEIPAは今年、大きな動きを見せる。5月21・22日に京都で、国内最大規模の国際音楽賞「MUSIC AWARDS JAPAN」を開催するのだ。中川も一部協力している本賞は、最優秀楽曲賞、最優秀アーティスト賞などの主要6部門をはじめとした60以上の部門があり、現在約3000作品がエントリー。授賞式はNHKでの生中継に加え、YouTubeで全世界配信される。“アジア版グラミー賞”を狙う本賞によって、25年はJ-POPの世界進出“元年”になると期待がかかる。


