もう一つ、私の人生の2つ目の転機の話をさせて下さい。それは、弁護士9年目に行った、国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチの日本での立ち上げという社会的起業です。
話は少し前にさかのぼります。私はエリトリアから帰国後、東京で弁護士になりました。夢だった難民の弁護は、難民からは費用をとらずにプロボノで行うしかありませんでしたが、弁護士としての通常業務でお金を稼ぐ傍ら、寝る間も惜しんで仕事に全力投球していました。
そして5年後、私は弁護士業に一区切りをつけて、かねてからの念願だった初の海外留学を果たしました。アメリカのニューヨーク大学での修士課程でした。
そのころの私は、弁護士業からの方向転換を模索し始めていました。自分の24時間をすべて人権のために使いたかったからです。つまり、プロボノで人権活動をする人生ではなく、人権を本業にする人生を模索し始めていたのです。一回切りの人生、自分のパッションに全力投球したかったのです。
しかし、当時の日本ではそれは無理な話でした。弁護士の人権活動に給料を払う団体はありませんでした。雇ってくれる団体が日本にないなら、自分で作るしかないかもと考え始めていた私は、そんな中、世界最大級の人権NGOであるヒューマン・ライツ・ウォッチの本部が、自分が留学中のニューヨークにあることを知りました。
ヒューマン・ライツ・ウォッチはスタッフを何百人も抱えており、その多くは弁護士です。弁護士に給料を払えるNGOはどのように運営されているのか、組織に入りこんで学びたいと思うようになったのです。
そして、試行錯誤を重ねた結果、1年間のフェローというポジションをもらうことができました。
そして1年間のフェロー生活の中で、ヒューマン・ライツ・ウォッチの人権調査活動の質の高さに衝撃を受け、ほれ込んでしまった私は、日本に帰国してからも、ヒューマン・ライツ・ウォッチで仕事を続けたいと熱望するようになっていきました。


