なぜ老人は踊るのか。写真から浮かび上がるアメリカの本質
ここに、一枚のオハイオ州サンダスキーで撮影されたソスの作品があります。この作品に初めて触れたのは、葉山にある神奈川県立近代美術館でした。私は作品を前にして、しばらくの間動けなくなってしまいました。
もちろん作品の構図やコントラスト、階調の美しさは素晴らしいのですが、不思議な違和感を覚えました。そして「これはいつ撮影された写真で、この人は何をしているのだろう」「なぜこんなにも楽しそうにしているのに、ダンスの相手はいないのだろう」とさまざまな疑問が沸き上がってきたのです。
私の心境を見透かすように、作品には次のようなコメントが添えられていました。
「私の地元の人はキリスト教バプティストです。ですので、我々はかつてダンスに行くことはありませんでした。私が第二次世界大戦に行ったときには、私の持っていた煙草をチョコレートバーと交換していました。私はダンスはしませんでしたが、ラテン音楽にはとても魅了されました。
40年代終わりのある夜、私はバンドのライブを観に行ったのですが、ある女の子が私のところに来て『踊りましょう』と言いました。私が『踊り方がわからない』と答えると、彼女は私にアーサー・マレー・スタジオ(※)のカードを渡しました。私は翌週その場所を訪れ、28歳で始めてのダンスステップを踏み、そこからずっと踊り続けています。私は写真家でもあり、アメリカ中を旅してボールルームの写真を撮り続けまています」
作品とメモからは、多くのことが読み解けます。彼がバプティスト派というキリスト教プロテスタントのなかでも厳しい戒律の世界に生きてきたこと、その服装からして社交ダンスを愛していること、踊りや音楽が彼の人生を変えたこと。そして、もしかするとダンスの相手はもうこの世の中にいないかもしれないこと。
ソスの写真には、アメリカで「生きて生活する人々」の素顔、そしてアメリカの本質を浮かび上がらせる力があるのです。
※アメリカ発祥のダンススタジオ。現在は世界的規模へ発展している
「世界に鈍感な日本人」にこそ余白が必要だ
アメリカはご存知の通り、合衆国です。各州が自治権をもち、その土地土地に多様な価値観や文化をもった人たちが暮らしています。特に「ラストベルト」の3州の人々は前述の通り厳しい生活を強いられ、昨年の大統領選ではトランプ支持者が目立ちましたが、リベラルな理想を信じてきた過去があります。そうしたなかで人々はただ悲観的に生きているのではなく、それぞれの信条や希望を胸に抱き、暮らしています。
選挙のたびに投票先が揺れるのは、人々の複雑な心情の投影とも言えます。ソスの写真は、そうした人々の生活や感情を切り取り、深く思いを馳せるきっかけを与えてくれます。
写真という手法はすべてを語らず、観る側に違和感や解釈の余地を残しているところに美しさがあります。ソスは「ナラティブを伝えたいなら動画がいい。写真は、余白を残すことに存在価値がある」と語っています。写真作品に触れることで、我々の想像力は鍛えられていきます。
日本は地理的にも島国で、長い平和と独自の文化を築いてきたことから、異なる民族や文化、宗教をもつ世界の人々を深く理解する機会をあまりもたずに来ました。ですから、日本人は「鈍感」とも言えるのです。


