「フォーブス アメリカ大学ランキング2014」で第2位に入ったスタンフォード大学。同大学からはヒューレット・パッカードやヤフー、グーグルといった、シリコンバレーを代表するIT企業が生まれている。学生のみならず、教授も会社を起こし、投資をする―。終わらないイノベーションの連鎖を生み出すスタンフォード大学の「起業文化」とは。
「グーグル」が生まれた日
(中略)1981年、シェリトンは研究資金を求めてスタンフォード大学に辿り着くや、たちまち成長著しいシリコンバレーの牽引役となった。アンディ・ベクトルシャイム(58)と初めて出会ったのもスタンフォードだった。博士課程に在籍するドイツ出身のベクトルシャイムは当時、自分で設計したワークステーションの開発を進めていた。これはStanfordUniversity Networkの頭文字をとって、「SUN(サン)」と名付けられた。ソフトウェアの開発者を探していた彼は、コンピューター・サイエンス学部で知り合ったシェリンにアドバイスを求めた。当時、助教授だったシェリトンはサンをいじると、微調整するように助言した。
ベクトルシャイムは82年にスタンフォードを去ってサン・マイクロシステムズを創業したが、シェリトンは90年代に入っても大学に残って教員を続けた。95年にサン・マイクロシステムズを退社したベクトルシャイムは、イーサネット接続に伴うソフトウェアの根本的な問題を熟知している人物を探しまわっていた。そこで、電話をかけた相手がシェリトンだった。ふたりは、イーサネット・スイッチを開発するためにグラナイト・システムズを設立すると、14カ月後に2億2000万ドルでシスコシステムズが買収した。01年に設立したネットワーキング企業ケアリアも、サン・マイクロシステムズに1億2000万ドルで買収されている。
両社を起業する合間にも、彼らは投資家としても最高の手腕を発揮している。グーグルの創業者たちに10万ドルの資金を提供したのだ。
ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンは、シェリトンから直接教えを受けたことはなかったが、グラナイトの成功を聞きつけて彼を訪ねてきた。自分たちが開発した「ペイジランク」のアルゴリズムをどうすれば商品化できるか、シェリトンなら知恵を授けてくれると期待したからだ。資金に余裕があったシェリトンは快く支援を申し出た。
「2人が資金を集めるのは並大抵のことではなかったが、心配する必要はないと思っていた」と、シェリトンはグーグルの創業当初を振り返る。その日は、ベクトルシャイムも同席していた。彼は一目見ただけでこの検索エンジンの素晴らしさを見抜き、スポンサーリンクを販売するアイデアにも賛同した。彼はそのとき、「1回のクリックで5セントの報酬が入るとすると、100万回で5万ドルになる」と頭の片隅で計算したという。
ベクトルシャイムは、自分やシェリトンの投資は偶然の成り行きだったと話す。しかし、たんなる偶然と思う人はいないだろう。シェリトンの紹介でグーグルに出資することになった、エンジェル投資家のロン・コンウェイも「偶然などではない」と語る。「ベクトルシャイムやシェリトンがつくり上げた環境のおかげです。彼らがずば抜けて優秀なエンジニアだから、アドバイスを得ようとエンジニアが集まってくるのです」
(以下略、)