これから紹介する示唆に富むネットフリックスの3つのドラマシリーズは、まさにそんな作品だ。既知の世界や人間性、社会に関する私たちの思い込みを揺るがし、現実とそれを経験する方法にまつわる、深遠な問いの探究に視聴者を誘う。これらのシリーズは、常識を破壊して私たちを困惑させ、疑問を持たせ、視野を拡大させるのだ。
世界の認識に関する我々の思い込みを揺るがし、根源的な恐怖を呼び起こすドラマシリーズを3つご紹介しよう。心理学者おすすめの作品だ。
1.『ブラック・ミラー』(2011年~)
エミー賞を受賞したアンソロジーシリーズ『ブラック・ミラー』は、テクノロジーの暗黒面や、それが社会にもたらし得る影響を掘り下げている。各エピソードの内容は独立しているが、いずれも、テクノロジーの進歩がぞっとするような展開を迎えたディストピア的な未来が舞台だ。このシリーズは、野放図なテクノロジーの進歩の先にありそうな、恐るべき結果を実に生々しく描写しており、だからこそ、落ち着かない不安な気持ちにさせられる。
すべてのエピソードに共通するのは、新たなテクノロジーが、現実世界と仮想世界の境界線をいかに曖昧にするかを考察している点だ。『ブラック・ミラー』は、SFとディストピアの切り口から近未来のシナリオを浮き彫りにしており、そこでは現在の延長線上にある最悪の帰結が、余すところなく描かれる。
このシリーズは、「認識の異化(cognitive estrangement)」と呼ばれる技法により、現実を批判的に振り返ることを視聴者に強いる。現実への疎外感を呼び覚ますことで、これまで受け入れていた真実に疑問を抱かせ、このまま何も変わらなければどんな結果になるのかを考えさせるのだ。
研究によれば、『ブラック・ミラー』のようなディストピア作品は、「サイバー・パラノイア」と呼ばれる感情を呼び起こす。サイバー・パラノイアとは、テクノロジーに対する恐怖、不信感、不安感を意味し、とりわけ社会、プライバシー、個人の自主性への負の影響を懸念する感情をさす。
サイバー・パラノイアの根底には、テクノロジー、とりわけ人工知能、監視システム、デジタルプラットフォームのような先端技術や新興技術は、個人や社会を脅かすような形で使用されるおそれがあるという考えがある。
こうしたパラノイアは、『ブラック・ミラー』のようなディストピア作品において、不気味なほどつぶさに描かれている。そして、現実世界における技術の不正使用や、個人データやプライバシーの自己管理権を失うことへの不安と共鳴しあっている。
2.『ダーク』(2017年~2020年)
ドイツのSFスリラー『ダーク』は、タイムトラベル、パラレルワールド、家族の秘密といったテーマが綿密に織り込まれた作品だ。難解なストーリー構造のなかで複数の時系列が収束し、時間の直進性や、世代を超えた行動の帰結といった問題への疑問を視聴者に突きつける。このシリーズにおいて、時間は柔軟性のある非直線的概念として描かれており、それが視聴者の認知を歪め、現実の古典的理解を揺るがす。『ダーク』は、矛盾をはらんだストーリーを提示することで、私たちの認知の弱点を突く。その物語は、原因と結果のあいだにある境界を曖昧にし、何が現実であるかを区別しにくくするため、緊張と不安を高める。
オンライン掲示板Reddit(レディット)のあるユーザーは、この作品を次のように的確に評している。「すごい番組だけど、受け身では見られない。110%集中して見るつもりで、今見たものが何だったのか常に考え、再検証しつづけなくてはいけない。とても実り多い視聴体験になる」
このシリーズは、濃密な認知的エンゲージメントにより、視聴者に常に複雑なプロットの要点を解釈させ、見たものを再検証させ、ストーリーとの接点を模索させる。知的要求は多いものの、このプロセスの見返りは大きい。批判的思考や問題解決能力が刺激され、ストーリーが明らかになるにつれて、深い満足感がもたらされる。
『ダーク』は視聴者を、現実認識が歪むような旅に連れ出し、時間の本質や、ある行動がはるか先の世代にもたらす帰結といった、深遠な問いについて考えさせる作品だ。