1993年に発売された『完全自殺マニュアル』の後書きでフリーライターの鶴見済氏は以上のように書いている。平成初期に書かれた「息(生き)苦しい」という表現を、今風に置き換えるとすれば、「生きづらい」が適切だろう。
「生きづらい」というフレーズは昨今、最も耳目に触れるようになった言葉の一つだ。現代社会に生きる人々は、それぞれが固有の「生きづらい」を抱えている、という概念は最早常識として定着しつつある。
一方で、誰もが抱えているからこそ、「生きづらい」の定義は曖昧だ。「生きづらい」という単純なワードから想像する事情は、各々によって異なっているはずである。
最新作『人間関係を半分降りる』を上梓した今、そんな「生きづらい」を、著者自身はどのように捉えているのだろうか。100万部『完全自殺マニュアル』著者が「人間関係を半分降りる」ことを勧める理由 に続き、鶴見氏に話を聞いた。
「小さいとされてきた問題」こそ、当事者にとっては辛い
「(「生きづらい」は)一言で言えば、本人にとっては苦しいけれど、社会的には小さいとされてきた問題のことを指すんじゃないかと思います。以前は大きな問題ばかりに注目されていたんです。戦争だとか大きい病気だとか……そういう問題は、当事者は辛いけれど「戦争で生きづらい」とは言いませんよね。でも、そういう大きい問題に取り組んでいくうちに、どんどん社会の解像度が上がっていって、『生きづらい』が発見されるようになったんだと思います。
戦後の社会は長く、とりあえず学校に入れて、会社に行かせて、結婚して子どもを作って……それが幸せだろ、という風にひとつの幸せの形をみんなに押しつけてきました。でも、社会の解像度が上がって、そこからはみ出してしまう人を見つけられるようになったんです。それで『生きづらい』が一般化してきた。その中心にあるのは、やっぱり人間関係と心の問題じゃないでしょうか」
2022年に発売された最新作『人間関係を半分降りる』で鶴見氏は「生きづらい」から逃れるための方法を様々に提案している。その多くは文字通り「降りる」方法なのだが、一方で「つながる」方法もあるのだ。