ウクライナは軍の火力不足を補うため、何百もの小さな工房によってFPVドローンを月に10万機製造する集中的な取り組みに乗り出した。その結果、前線上空はどこもウクライナ側の小さなドローンがうじゃうじゃ飛ぶようになった。ロシア側は、ドローンの操縦に使われる信号を遮断するジャマーをはじめ、各種対ドローン装備の配備に追われることになった。
ツァーリ・タンクは、戦場の対ドローン・ジャミングの面ではロシア軍でまさしく頂点に立つものだったのかもしれない。もっとも、ジャマーの見た目は優雅とはほど遠いものだったが。ロシア軍のジャマーは急ごしらえで粗雑なものが多く、役に立たないことも少なくない。それでも常にウクライナ側の徹底的な監視の対象になっており、だからこそアゾフ旅団も、異様に大きなジャマーを残したまま、動けなくなったツァーリ・タンクに強い関心を寄せたのだ。
アゾフ旅団がこの戦車をどのように取りに行って持ち帰ったのかは、いまではよく知られている。4月3日の夜、まず偵察隊が戦車に忍び寄り、どういう状態かを検分した。
T-72は有刺鉄線に絡まり、不発の対戦車地雷の上に鎮座していた。乗員3人が射撃統制システムを切らずに脱出していたため、重さ70kgのバッテリーは死んでいた。戦車は乗員が逃れたあと、複数のドローンで仕留められている。
4月4日の夜、旅団は「行動することを決断」(クリム)し、戦車を奪い取るべく動き出した。工兵と戦車兵のチームが密かにT-72のところまで赴き、戦車の下の地雷を含め爆発物を除去し、バッテリーを新しいものに交換した。
4月5日の夜、残されていたのは戦車をテルニまでほんの数km走らせることだけだった。歩兵とドローン操縦士が安全な距離から見守り、衛生兵と救護要員が待機した。戦車の奪取自体は、コールサイン「バイダル」と「テノル」という2人の戦車兵が行うことになった。彼らは近くにロシア側から砲弾が撃ち込まれるのにもひるまず、T-72に駆けつけ、中に乗り込んだ。