「パイオニア賞」に選ばれたのは、50年の歴史をもつNHK新人落語大賞で女性落語家初の優勝を果たした若手噺家。飛ぶ鳥を落とす勢いで東西の高座に出演し、テレビやラジオ、新聞連載でも活躍する。
全国で1000人が活動しているといわれるプロの落語家のうち、女性は60人程度しかいない。
たまたまテレビで観た笑福亭鶴瓶をきっかけに落語の虜になり、桂二葉は圧倒的男社会である落語の世界に飛びこんだ。幸いにして師匠は女性差別を一切せず、男性の弟子と同じように優しく厳しく鍛えてくれた。
「師匠米二に『弟子にしてください』と初めてお願いしにいったときは『女の子は取れへん』と断られました。それでも何回もお願いに行って、やっと入門が認められたんですが、入門してから3年間の修業期間が、めっちゃ大変!
まず、三遍稽古といって、例えば15分の噺をいいところで区切って、そこを師匠が目の前で3回やってくれはるんですが、その間に覚えなあかんのんです。録音もできひんし、なかなか覚えられへん。怒りながらも師匠は何遍も教えてくれはる。その優しさに、泣いてしまうことも。一個の噺を覚えるのに半年かかりました。師匠は私を弟子にして、髪の毛薄くなったらしいです。身を削って弟子を育ててくれてます」
小学生時代、「標準服」であるスカートを履いて登校するよう教員から言われ、強い違和感を抱く。二葉の母は「男のくせに」「女の子らしくしなさい」といったジェンダー観を押しつけることがまったくなかった。母は学校側に「絶対着なアカンことはないはずや」と言ってくれた。「着たいものを着たらええ」という自由な精神は、落語家になってからも生き続ける。
「男モンの着物でやってはる女性も結構いはりますが、私は女モンの着物でやってます。似合うものを着ればいいと思てます。師匠に相談したら『オレもわからへん。好きにしろ』と言わはった。女モノの着物は帯の位置が違いますよね。『フトコロに手を突っこむ所作が出てきたら、男モノの着物を着てるテイでやったらいいだけの話なんや』と教えてくれはりました」
落語の世界は、桂米二師匠のように優しい人ばかりではない。「女は古典なんてできひんから、新作やっとき!」「女には落語はできひん。『お茶子』(演者が変わるときに座布団をひっくり返す役)や『めくり』(舞台袖の名札をめくる役)しか仕事振られへん」──。心ない言葉を浴びせかける者もいた。
「 例えば、男の人がお茶子さんをやるときは前掛けなんかつけへんのに、女にだけ『つけろ』って言うんですよ。『この世界、セクハラなんて当たり前や思て入ってきてるよなぁ?』って言うてる人もいました。どんな仕事をしててもそうですが、人を傷つけたらアカン。ものすごく腹立ちました。いつか言い返したろと思てました」