同時に、ローカルの経済的恩恵をうける一部の人たちも、「現実とは、こういうもの」をあらゆるロジックを動員して正当化しようとします(リゾート地のみならず、東京都内における不動産業者による地区再開発案件にも適用できます)。
これは短期決戦的なビジネスマインドによるとみられます。よって、何らかの長期的視点の導入を促すしかけをつくっていかないといけません。
インターネットを介した民泊サービスはおよそ15年前からはじまりました。当初は数々のトラブルがありながらも、時とともに定着してきたと言ってよいでしょう。ホテルと比較すると安価である点もさることながら、知らない土地で住民になったかのような日常生活を経験できる魅力は大きいです。受け入れ側も不動産投資がしやすく、かつ草の根レベルでの異文化交流を期待することもあるでしょう。その期待が叶ったケースも多数あると思います。
しかしながら、数年前からアムステルダムの歴史地区では民泊禁止となり、同様の対策がフィレンツェでも導入される見込みです。民泊の増加は、住居の貸物件の減少と不動産価値の上昇だけでなく、周辺の飲食店の価格レベルが「観光地並み」になるジェントリフィケーションも招くため、住民にとしては生活環境の悪化になると気づいたのです。
観光客が思う「住民になったかのような日常生活」は、ほんとうの住民が抱える生活のしづらさの上に成り立つことになりました。ホスピタリティ産業に関わらない人たちにとって「関係ないから民泊は無視すれば良い」ことではなく、「関係がないのに生活に悪影響が出る」。これは住民にとってなかなか寛容に受け止められない状況です。
観光で知らない場所に訪れる人は、その土地に住む人たちの世界観に触れたいのですから、それを知らないフリをするホスピタリティ産業があるとすれば自己矛盾を抱える、ということになりますね。だからこそ、ホスピタリティ産業は工業製品の輸出よりも文化成熟度が試される、ということになりそうです。