野村不動産ホールディングス グループCEO・新井聡は写真撮影の最中、ポーズを取りながら言った。
「こんな感じでどう?」
見ると、野村不動産グループ史上最大規模といわれる「芝浦プロジェクト」で建設されるツインタワーの模型に顔を近づけ、いたずらっぽい表情をしている。ゴジラが街に現れたイメージを彷彿とさせる構図。遊び心のある経営者なのである。
芝浦プロジェクトは、JR浜松町駅から徒歩7分の芝浦運河沿いに展開される。東京ドームおよそ1個分に相当する敷地に、延べ床面積55万平方メートル、高さ約230mのビル2棟を建設。入居するオフィス、商業施設、ホテル、レジデンスからは、東京湾、レインボーブリッジ、東京スカイツリーなどが一望できる。そんなエリアに、緑豊かな空間をつくり、さらに、かつて“東洋のヴェネチア”の異名をとった「水都東京」を復活させ、舟が行き交う舟運環境をつくる。新井自身、
「このプロジェクトは、野村不動産グループの将来をある意味決めることになる」
と言うように、かなりの覚悟と緊張感をもって進めている。しかし、なぜかCEOは冒頭のようにユーモアを交えながら振る舞う。
その疑問は話を聞くほどに解けていった。
証券マン時代に学んだ「信頼」
新井は野村不動産グループの出身ではない。東京大学を卒業後、野村證券に入社している。1988年のことだ。「日々変化する環境で自分を磨きたかった」というのが証券会社を選んだ理由だが、当時はバブル経済絶頂期。人々は好景気に浮かれ、会社も達成目標を設定したが、新井は少し距離を置いた。
「短期的な目標達成も大事ですが、どちらかといえば、お客様との長期的な信頼関係を維持することを第一に考えていたかもしれません」
出世のためならば、首都圏や大都市の支店を志望しがちだが、新井はあえて地方支店を希望し、鳥取県米子市の支店に在籍したこともあった。
人事課長になってからは、組織運営において透明性を高めることが最重要課題だと意識した。
「ブラックボックス化した評価では、疑心暗鬼を生みますよ。これではエンゲージメントが高まらない。ただ、課長という立場では実行に移せなかったのが悔しくてね。のちに役員や営業部門長になってからは、会議内容を開示するなど、組織運営の透明性を高めようと努力しました」
自分が所属する組織を程よい距離感で冷静に見極める目。そんな観察眼を備えた新井が、野村不動産ホールディングス副社長に迎え入れられたのは、2022年のことだった。
当時、新井の頭のなかにあった野村不動産グループのイメージとは、マンションブランド「プラウド」などに代表される戦略が巧みな会社だという認識だった。しかしさまざまな現場に足を運び、できるだけ多くの社員と積極的に話すなかで、いかに自分が勘違いしていたかを思い知る。
「いいものをお客様に提供しようという強い意識を感じました。建物を設計する場合、一般には設計事務所さんやゼネコンさんに委ねる割合が高くなりがちですが、野村不動産では『事業推進』担当者が中心になって、顧客の視点などを入れながら侃々諤々意見を戦わせるんですね。かなり前から大学や大学院で建築を学んだ社員も携わる体制を整えていて、時にけんか寸前になるほど熱いやり取りをする。『使い勝手や完成後の維持管理にまで配慮されてこそ、良いデザイン』と考えているのです」
顧客からの情報が入りやすい組織にもなっている。例えばプラウドならば、売りっぱなしでなく、野村不動産パートナーズがそれぞれの建物を運営管理する。野村不動産グループのなかで従業員の数がいちばん多いのが実は管理部門である。
この手法のいい点は、他社に管理を外注しないので、住まう人々の声を直接拾えるところ。それが次なる住まいづくりのヒントにつながるなど良い循環が生まれるのだ。新井が証券マンの矜恃としていた顧客を大事にする考え方とピタリと合致した。2023年、新井が野村不動産ホールディングスのトップに立ったのは運命的でさえある。
新井はさらに上のステージへと成長するビジョンを掲げていることにも強い意義を感じている。“まだ見ぬ、Life & Time Developerへ”である。
「当社はこれまで住宅をはじめ、都市開発や再開発事業をメインとするデベロッパーとして歩んできました。今後は、お客様の生活・生命・生涯・活力などの“Life”、そして時間・歳月・時期・時代、余暇などの“Time”といったものに対して、さまざまな価値を提供する企業に成長するという目標を掲げています。これまでも心がけてはきましたが、さらに高い付加価値を提供し、充実させていくという姿勢です。私がCEOに着任する前に策定されたビジョンですが、いい方向性だと思いました」
舟運から働き方を変える
実はこのビジョン、2030年に向けてのものである。冒頭に紹介した芝浦プロジェクトは、2025年にS棟が、次いで2030年度にはN棟がそれぞれ竣工して完結する。芝浦プロジェクトは、いわば“Life & Time Developer”の象徴的存在なのである。なかでも「舟運」はこのビジョンの代表的な試みで、さまざまな“Life & Time”を提供する。
例えば新たな働き方の提供である。新型コロナ以降、リモートワークを利用する機会が増え、オフィスの意義が問われた。しかし新井は言う。
「リモートワークはなくならないし、ChatGPTも仕事のあり方を変えていくでしょう。しかし人が集い、語り合うからこそ高度なアイデアが生まれると思うんです。我々はそれを支援できるようなオフィスをつくっていこうと考えています」
例えば通勤環境を変える。満員電車ではなく、時に舟で潮風に吹かれて出勤する。芝浦の船着き場を降りれば、そこには緑や水辺に囲まれた“ワーケーション”のようなオフィス環境が展開する。思わず出勤したくなるような場所なのだ。
水辺には、テニスコート6面分に相当する約1,650平方メートルの緑豊かな公園が広がる。考えごとがあると、公園などを何時間も歩いたというAppleの創業者、スティーブ・ジョブズの逸話はよく知られるが、歩くことと創造性向上の相関性は研究者によって指摘されている。
野村不動産芝浦プロジェクト企画部 企画課課長代理 内田賢吾は語る。
「当社グループは50年ぶりに本社を新宿から芝浦に移転させます。新宿が利便性に優れ、仕事がしやすいオン状態の街だとすれば、芝浦はそれに加えて本物の自然があるオンとオフの間の街。オンとオフが重なり合うような街づくりや、新しい働き方を芝浦から提案できたらと考えています」
今、野村不動産グループの芝浦オフィスでは、さまざまな機能を備えたトライアル施設をつくり、そこで社員が2カ月間ずつ交代で仕事をするという試みを展開している。その実験から未来の働き方にフィットしたオフィスは何かを探り、ツインタワーづくりに役立てようとしている。
水と向き合う街をつくる
もうひとつの価値の提供は、社会課題の解決である。新井は、「社会課題の解決に貢献していかないと、企業は存続する価値がない」と言い切る。課題のなかでも喫緊のテーマは環境である。
戦後、東京は、川に背を向けて発展してきたが、舟運を導入することで、日常的に水辺や川を目にすることになる。新井は言う。
「水と向き合う生活を採り入れることで、人は知らず知らずのうちに水質などを意識することになります。すると日常の生活態度が変わってくると思うんですね。小さな変化かもしれませんが、そうした行動が環境を良くしていくのです」
野村不動産グループは、東京・奥多摩町に約130ヘクタールの森林「つなぐ森」を保有する。森で育った木をツインタワーの内装材に利用する計画なのだが、実は奥多摩から流れてくるミネラルや微生物を豊富に含んだ水が、東京湾に流れ込み、海を潤し、芝浦運河ともつながるのだという。森と海、川がつながっていることも舟運を利用するなかで感じ取り、単に芝浦地域だけではなく、海の環境にも人々が関心を払えるようになればと考えている。
舟運ルートの整備も着実に進んでおり、芝浦の対岸にある晴海ふ頭から日の出桟橋、そして芝浦という海上の道をつなぎ、浜松町から都心へ舟でアクセスする可能性も見えてきたという。
港区内で排出されるCO₂の7割は、オフィスビルなど業務部門由来だという問題にも対処する。芝浦プロジェクトの街区ではCO₂排出量「実質0」実現のため、エネルギー供給の一部に野村不動産グループのエネルギー事業等による「太陽光発電」を使用。室温管理には放射パネルに水を通すことで空調を行う放射空調方式を導入する。
「社員にはもっと遊んでほしい」
このプロジェクトで注目すべきは、地域住民の“Life & Time”にも付加価値を提供するところだ。「単に大きなビルが近くにできたというだけでなく、住民の皆さんと一緒に街の付加価値を上げていけたらと考えています」(新井)
例えば、近隣の小学校で出張授業を行い、子どもたちが車いすの人や外国人などの視点で街を観察し、舗道のスロープや案内板の多言語表記など街の工夫を見つける。こうした「バリアフリー教育」に加え、子どもたちが自ら地域について調べ、こんな街がいいと考える授業も行う。こうした子どもの意見に加えて、宿題を通じて保護者の意見を抽出、地域に住む大人の意見を街づくりに生かそうとしている。
「次世代を担う子どもたちにも一緒に考えてもらうことが財産になればうれしいし、そうした活動を通じて、街づくりのバトンを受け継いでいけたらと願っています」(新井)
チャレンジングな街づくりをより良いものにするためには何が必要か? 新井は即答した。
「“遊び心”ですね。社員にはもっと遊んでほしい。まじめなのはかけがえのない素晴らしい財産なのですが、それはそのままに、もうちょっと遊んでみる。2030年ビジョンに“まだ見ぬ”という言葉がついていますが、それは遊びの部分ですね」
新井は人口減少を食い止めるには、海外からの観光客や就労者などを含めて、常に2億人が日本にいる状態をつくればよいのではないかという。そのためには住んで楽しい、滞在してワクワクするような日本である必要がある。そのモデルを芝浦プロジェクトが示せるかどうかは、「遊び心」をもって取り組めるかどうかにかかっている。
「もっと遊べ!」――冒頭の新井の振る舞いには、そんな意味が込められていたのだ。