「白いもの なべて憎んで 生きて来た 僕らのための ゆふぐれが来る」(小佐野彈『無垢な日本』より)
陽が沈んで、都合の良いものだけを照らしてくれるネオンに包まれて生きてきた。傍から見れば、歌舞伎町で生きている私達は奈落に落ちていったように見えていたかもしれない。自分達もいくらここで輝いても所詮それは奈落の中での出来事だってわかっている。それでもお互いの傷を舐め合って、称え合って、支え合って生きてきた。
なんて、自虐的な導入の方が歌舞伎町の夜を感じてもらえるかと思ったが、実際は毎日激しく楽しく酒を飲み散らかして生きている。
私は歌舞伎町で、今年20周年になるSmappa!Groupの会長職に就いている。約350人の従業員と共に、20種類以上の業態で、毎日を文化祭のようにこの街で遊ぶように働いている。
「遊ぶように働く」、そのためには自分たちが遊び相手に選ばれる人間でいることが大事な素養だ。それはどんな人間なのか?
嬉しい時に一緒に喜んでくれて、悲しい時に一緒に泣いてくれる人。
そんな人じゃないかと私は思う。そんな風に他者に対する想像力を持てるようになるために、私は「映画を観ろ、本を読め、文化に触れろ」と口酸っぱく言い続けてきたし、自分でも意識して生きてきた。「教養の強要」である。
街に溜まる若者 問題の根源は何か?
歌舞伎町・トー横広場が問題視されている。私もよく意見を聞かれる。それに私は「広場だから溜まっていいんじゃないですか?」としか答えない。トー横で起きる事件に対しては、事件は事件であって、事件として考えればいい。でも、きっと、トー横で起きていることは今までも今も見えないところで起きていることで、表層に表れているだけだと思っている。それを、メディアやSNSが煽ることで、過激さを増しているように思う。戦後の都市計画で、ヨーロッパの街作りに明るい石川栄耀が関わり、文化的な街にしながら、広場は人が溜まれるように設計された。
日本人は広場の使い方が上手じゃない。欧州では多くの人が日夜問わず集まっている光景をよく見かける。集まることが悪いことでは決してない。みんな集まって溜まればいいのだ。
誰もが子供の頃、公園に遊びに行ってたじゃないか。私だって、誰か友達いないかなーってゴールデン街をフラフラする。それと一緒だ。
歌舞伎町の「王城ビル」を舞台に
9月2日から10月15日まで、歌舞伎町にある王城ビルで、「ナラッキー」という展覧会を開催している。過去にもChim↑Pom from Smappa!Group(以下 Chim↑Pom)で、何度もプロジェクトを一緒に行ってきた。弊社にとっては社員への「教養の強要」の一部だ。もっぱら我々は、プロジェクトの裏方を担当するのだが、期間中は否応なくアートと関係者と触れることになる。
日常業務がある中で、突発的な催事があると、とても疲れる。私もそうだ。しかし、終わってみると、とても良い経験になっている。
そうやって、Smappa!Groupは、柔軟なアジャスト力を付けてきた。教養も培ってきた。
「ナラッキー」は、Chim↑PomとSmappa!Groupの歌舞伎町プロジェクトの集大成といっていいだろう。いや、これが本当のスタートラインに立ったといっていいくらい特別なものだ。