「想像」と「寄り添い」が導く先へ
「私達だってあそこで溜まっている人達となんら変わらないのに、どいてくださいって言わなきゃいけなくて.......」歌舞伎超祭の打ち上げの際、運営の方の1人が、ステージの設営準備の時に、広場に溜まっている人達に移動をお願いしたという話をしながら泣いていた。何が問題か? どうしたら溜まって問題を起こす人をなくせるか?
その前に、寄り添うことじゃないだろうか。想像することじゃないだろうか。
溜まっている人は悲しい人達なのか? 可哀想な人達なのか?
「ナラッキー」では、奈落の展示の下に1階がある。そして1階の梯子をのぼると、マンホールの穴から顔を出すことになって、そこに奈落がある。奈落を見上げる。
奈落を見上げたのち再び1階に降りる。下界は奈落の下にある。
外に出て、奈落の下にある世界から、空を見上げると、奈落から一筋の光が天を突き刺している。奈落のセリにサーチライトが設置され天井を突き抜け空を照らす。
我々がいるこの下界は、どこなのだろうか。
狂っていることがたくさんある。もうテレビやニュースから離れざるを得ない。狂ったニュースへの理解のなさが辛い。
でも「ナラッキー」から天に差す光を眺めると、どうにかなりそうな気がする。下でも上でもない私自身に光を感じる。
屋上には大きな青焼きの「光は新宿より」という言葉が掲げられている。
戦後3日目に尾津喜之助が、全国紙の新聞広告に闇市の広告を出した時のコピーだ。焼け野原の新宿駅前の闇市は庶民の生活を支えた。そして状況が落ち着いて地権者達に追い出され、闇市は歌舞伎町に場所を移して商売を続けた。ゴールデン街など未だにその名残は街に残る。
今日再び、尾津の言葉が歌舞伎町に掲げられた。
新宿という誰でも来ることができるリアルダイバーシティ。ないものを探す方が難しい。つまり、ここが現代社会の縮図だ。
最後に、尾津が新橋の抗争の仲裁のとき、死を覚悟して遺した辞世の句を。
「俎(まないた)に ゆたりと鯉の 昼寝かな」
僕たちは奈落にいるのかもしれない。でもいいじゃないか。焦らなくたっていいじゃないか。溜まったっていいじゃないか。今なんてただの今だ。
「ナラッキー」は10月15日まで。残り数日、奈落からの光を目に焼き付けようと思う。