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2023.08.25 20:00

大久保佳代子がOLで学んだ生き方──非常識なことは、常識があるからできる

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テレビのバラエティー番組などでお馴染みの大久保佳代子さん。小学校から高校まで同じ学校の光浦靖子さんと1992年にコンビを組み、お笑い芸人としてメジャーデビューしました。現在は舞台活動も行い、女優としても活躍されています。
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仕事を始めたのは千葉大学に在学中のとき。芸人だけでは食べてはいけず、家庭教師などのアルバイトをしたり、さらに25歳からは、2010年まで14年にわたってOLとして会社勤めをしたりしていました。

「たまたま引っ越し先の近くで、いい仕事先が見つかって、OLになったんです。オープニングスタッフでゼロから始められることや、外に出ない仕事だったことも良かった」

仕事は月曜から金曜まで、丁寧な研修があって、パソコンのブラインドタッチもできるようになりました。仲の良い同僚もできて、仕事が面白くなっていったといいます。
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「あれ、会社勤めって面白いんだ、なんて思い始めて。意外にもやりがいがあるんだと気づいて、行くのが楽しいくらいになっていました」

やがて仕事ができるようになると、リーダーからスーパーバイザーのような役職をもらい、新人の研修をしたり、シフトの調整をしたりと、どんどん任されていきました。

もちろん、生きていきたかったのは、芸人として。芸人の仕事でうまくいけば、いつでもそっちに行こうと考えていました。

「でも、OLの仕事もちゃんとやっていました。責任感は強いんです。そもそも、お金をもらってやっているわけですから。だから、ちゃんとやらない人は嫌でしたね。たとえ、どんな立場にあってもです」

そして2000年からは「めちゃ×2イケてるッ!」のレギュラーに。しかし、テレビの人気番組のレギュラーになっても、OL仕事は続け、それどころか、番組ではOLネタを定番にしていました。

OL経験が芸人としても生きている

芸人だけでは食べていくことができないので、お金を稼ぐためにすることになったOLの仕事でしたが、結局、30代後半まで14年にわたって続けることになります。

しかし、それは実際には稼ぐためだけの仕事ではなかったから、続けられたのだといいます。

「誰に知られるわけでも褒められるわけでもないし、小さかったけど、達成感や爽快感がありました。ありがとう、という声をもらえることもあった。いい人間関係ができて、年の近い上司や同僚と飲みに行く楽しみも知りました」

時間とともに少しずつ芸人の仕事も広がっていきますが、芸人の仕事の楽しみとは、また違う楽しみがあることに気づいていったのです。

「しかも、OL時代に大切にしていたことは、バラエティーの世界でも求められることでした。周りの人がどう思っているか、ちゃんと考えること。先を読んで、物事を判断していくこと。常識をちゃんと持っておくこと。それこそ、非常識なことは、常識がわかっているからできるんです」

OL時代に培ったことは、芸人としてのバラエティーの世界でも生きてくることだったのです。また、OLをしていたからこそ、驕ったりせず、普通の人々の気持ちでいようという意識を強く持つようになれたといいます。
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文=上阪徹

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