G7サミットを広島で開催するのは、広島が選挙区の岸田首相にとっては悲願であり、国内政治的には大きな成果となった。また、G7のリーダーに広島に来てもらい原爆資料館の展示を見てもらうというのも、日本にとっては非常に意義深いこととなった。
岸田首相は、ロシアのウクライナ侵攻については、G7のほかの国と結束を強めて、ロシア制裁に参加しているし、その立場は国民に広く支持されている。ウクライナ情勢の決着次第では東アジアの軍事的な緊張が高まる可能性もある。
また、岸田首相にとって幸運だったのは、2022年3月の大統領選で当選した韓国の尹大統領が、前政権の反日政策を大きく転換させて、徴用工問題の解決に動いたことである。尹大統領をG7(のパートナー会議)に招待することで、日韓の関係改善を大きく印象づけることができた。
唯一の被爆国の日本では、被爆者とその支持者を中心に、伝統的に原水爆禁止運動、核軍縮、核兵器廃絶運動への関心が高い。共通しているのは、非人道的な兵器としての核兵器の廃絶が理想である、という思いだ。
しかし、それらの運動にはさまざまな背景や意図があった(いまでも、ある)。1950年代から1970年代までの原水爆禁止運動は非人道的な兵器を使用したアメリカへの反発・批判の意味あいが強かった。そのような時期には、アメリカの大統領が広島を訪問することはありえなかった。
核保有国(米、ソ、中、英、仏)の既得権は認め、それ以外の国への核兵器の拡散を禁じる核兵器不拡散条約(NPT、1970年発効)が成立して、いったん核兵器開発競争には歯止めがかかったように見えた。さらに1991年ソ連崩壊を経て、ロシアの誕生を受けて、核戦争の危機はさらに遠のいた。一方で、核兵器不拡散条約にもかかわらず、インド、パキスタン、北朝鮮など、事実上の核保有国は増え続けた。