欧州

2023.06.27 02:00

ワグネルの反乱とは何だったのか? 考えられる2つのシナリオと今後の展開

ロシアのロストフ・ナ・ドヌーで2023年6月24日、南部軍管区司令部を掌握した後に演説する民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン(Wagner/Anadolu Agency via Getty Images)

米紙ワシントン・ポストによると、米国の情報分析官はプリゴジンの反乱計画を6月中旬には把握していたという。米国が知っていたのなら、ロシア政府も知っていたはずだ。しかし、ロシア政府は早い段階で計画を阻止するための手を一切打たなかった。
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プリゴジンは、ロシア軍がワグネルの部隊を攻撃したと主張したが、攻撃を受けた場所とされる写真の分析では、そのような破壊の被害は確認できていない。プリゴジンはまた、ロシア軍指導部の無能ぶり、計画の不備、兵力不足などを激しく非難した。そしてワグネルは予定通りに蜂起し、戦車やミサイルを伴った重装備の傭兵2万5000人がロシア領内深く進軍して、モスクワに迫る勢いを見せた。

奇妙なことに、多くの死傷者が出たという情報はない。犠牲はロシア側の戦闘ヘリコプター2機と偵察機1機のみだ。どうやら、ワグネル部隊はロストフにあるロシア軍南部軍管区司令部を掌握した後で爆撃を受けたようだが、目に見える証拠はどちらの側からも上がっていない。さらに、ワグネルがモスクワへ向けて北上するにつれ、幹線道路を埋め尽くす隊列への飽和爆撃など、ロシア軍の抵抗が予想されたが、そうしたことは起こらなかった。

プーチンは反乱を糾弾する演説を行った。トルコに逃亡したと報じられていたベラルーシの独裁者ルカシェンコ大統領が、プリゴジンに電話をかけ、身を引くよう説得したとされる。ルカシェンコがプリゴジンに行った提案は、反乱のただ中にあるワグネルの戦闘員数千人を置き去りにして、ベラルーシで干渉されることなく暮らすことだったという。
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全体的に、どうにも腑に落ちない展開だ。これがすべて芝居なのだとしたら、何を意図していたのだろうか?

まず、そうした一芝居はあり得ることだと認めよう。2つ例を挙げれば、2002年のベネズエラと2016年のトルコだ。どちらも準備不足のクーデターのように見えたが、実際には現職大統領の権力基盤を強化する効果があった。今回の場合、目的は何か。プーチンの権限を改めて強めるためか? もしそうなら、誰に対して?

プーチンはもしかしたら、瀬戸際で自身を支持するのをためらうのは誰かを見極め、スターリンのようにふるいに掛けたかったのかもしれない。あるいは、世間の目の前で軍指導部に恥をかかせ、ウクライナ侵攻の大惨事の責任をなすりつけて粛清しようとしたのかもしれない。

おそらく、ウクライナ侵攻で醜態をさらしているセルゲイ・ショイグ国防相と軍指導部の立場は、この公開茶番劇によっていっそう弱体化するだろう。ただ、プーチンがショイグに見切りをつけたかったのだとして、わざわざプリゴジンを使う必要はなかったはずだ。
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編集=荻原藤緒

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