政治

2023.06.15 11:15

ウクライナは過去から学ぶ、20年前の米軍の戦術でロシア軍を突破

安井克至

Getty Images

ウクライナ南部ザポリージャ州と東部ドネツク州ではウクライナ軍が3つか4つの軸に沿って前進している。だがモクリ・ヤリー川沿いの軸ではウクライナ軍はただ前進しているのではない。雷のような速さで駆け抜けている。

ヴェリカノヴォシルカという町からマカリフカまで南北に走る未舗装の道路を高速で進んでいるウクライナ海軍の第35独立海軍歩兵旅団は米軍から戦術を借用している。

2003年4月、米国主導のイラク侵攻の初期に米陸軍第3歩兵師団の大隊はM1エイブラムス戦車29両、M2ブラッドレー歩兵戦闘車14両、M113装甲兵員輸送車数両を都市攻撃タスクフォースに統合し、計画されていたバグダッドへの複数旅団の連合攻撃が始まる数日前にバグダッドに突入した。

「サンダーラン」と呼ばれる戦術を指揮した米陸軍の大佐エリック・シュワルツは、すばやく移動する小規模の装甲部隊はバグダッドのイラク守備隊を混乱させて士気を低下させ、おそらくゆっくりとした血なまぐさく、ブロックごとに進む戦闘に先んじるだろうと考えた。

シュワルツは正しかった。シュワルツが率いた大隊の4月5日のサンダーランはバグダッドの防御を突破し、米軍兵士1人を犠牲にしておそらく数百人のイラク軍と民兵組織の兵士を殺害した。2日後のさらに大規模なサンダーランでは大きな犠牲をともなったが、最終的に米軍はバグダッド中心部に主要拠点を確保し、バグダッド陥落を大きく加速させた。

それから20年が経つ。ウクライナ軍の第35海兵旅団がモクリ・ヤリー川沿いでサンダーランを開始して1週間以上が経過した。8、9日間の激しい戦闘で2000人規模の同旅団はいくつかの村を解放し、直近では6月12日にマカリフカを解放した。

スピードと衝撃が鍵を握る。第35独立海軍歩兵旅団はウクライナ軍の旅団としてはかなり軽装備だ。数十両の英国から供与された装甲戦闘車マスティフとトルコの装甲輸送車キルピ、そして約10両のガスタービンエンジン採用の戦車T80BVなどを保有している。旅団の迅速な前進はこれらの車両の使い方が鍵となっている。

T80を先頭に、マスティフの列がモクリ・ヤリー川と並行して走る未舗装の道路を猛烈な勢いで進む。戦車は3人の乗員が道路の左右に見つけたロシア軍の陣地を至近距離から爆破する。

口径125ミリの主砲を撃つために停まらなければならないとしても、それはわずかな時間だ。戦車は隊列の勢いを維持し、50口径の機関銃を備えた10人乗りのマスティフが戦車の砲撃を辛うじてかわしたロシア軍兵士を殺すか散り散りにする。その後、歩兵が車両を降りてその地域を確保する。

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翻訳=溝口慈子

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