おそらく浮気エピソードを入れて主人公への共感度が下がることが懸念されたのだろうが、むしろ実話に忠実に浮気から離婚への経緯を描いた方が、クリスといういささか無鉄砲なところのある人物像の奥行きは出ただろう。
作中では、学生時代は成績優秀で数学のできたクリスがルービックキューブを弄っている場面が度々挿入される。明らかに普通の人より際立って早く完成させていながら、そのことが何にもつながっていかない様子は、彼が才能を実生活で活かしきれていない状況と重なっている。
クリスはどんな父親か
ここではクリスを、それまでの映画に描かれた父親たちと比較してみたい。まず、骨密度測定機械をうっかり道端のヒッピーに預けて盗まれた彼は、『自転車泥棒』(1948)でうっかり自転車を盗まれるアントニオを思わせる。
大事な商売道具を盗んだ犯人を探して、街中を走り回るところもそっくりだ。クリスは2回機械を失くしており、見つけた犯人を全力で追う姿が度々描かれる。アントニオと同じく不運さが気の毒ではあるが、かなり脇が甘いという印象を与える。
角ばって大きくそこそこ重量もありそうなこの機械は、まるでクリスの足を引っ張るかのような厄介きわまりない物体として、終始画面の端々に現れている。
そもそもクリスが医療機関向けの機械のセールスマンになった理由は、楽して儲けることを夢見たからだった。高価な機械に先行投資して期待が外れ、貧困を招いたのだ。
アントニオとクリスの明らかな違いは、「ポスター貼りという地道で低収入の仕事 / 機械一台売れば家族が1カ月暮らせる夢の商売」という対比に現れており、それは「貧しさを見つめたイタリアのネオ・リアリズモ / アメリカンドリームを描いたハリウッド映画」の差異と重なっている。
愛想を尽かした妻が出て行き、息子と二人取り残されて苦労する展開で思い出されるのは、『クレイマー、クレイマー』(1979)だ。シングルファーザーの厳しさが描かれる点はよく似ている。
もっとも、『クレイマー、クレイマー』のテッドがそれまで家事・子育てを妻に任せきりだったのに対し、クリスは朝の早い妻に替わって託児所にクリストファーを送り迎えしている。そして、壁の落書きの綴りの間違いを糺したり、さらには託児所でテレビばかり見せていると抗議するなど、なかなかの教育パパぶりを見せている。
テッドは息子ビリーとの暮らしの中で次第に父親の自覚に目覚め、養育権を巡る裁判では息子と共に暮らす権利を主張する。一方クリスは、ニューヨークへと去る際にクリトファーを引き取りたがるリンダに対し、「俺が育てる」と断言しており、その態度は最後まで変わらない。息子の存在がクリスの「幸福のちから」を後押ししていることが、強く印象付けられる演出である。