5月、ワシントンでドナルド・カイザー元米国務副次官補と面会した。79歳になるカイザー氏は1979年から81年にかけ、初めての日本勤務を経験した。当時の日本は、冷戦時代にあっても近隣に大きな脅威を感じることもなく、「日米同盟」という言葉を使うこともはばかられる時代だった。
当時、防衛担当の一等書記官だったカイザー氏は、日米間で安保問題を巡る摩擦が起きるたびに奔走した。1980年2月、米海軍が主催する環太平洋合同演習「リムパック」に海上自衛隊が初めて参加した。米側は「日米でインターオペラビリティ(相互運用)を高めるためには、総合的な訓練への参加が不可欠だ」と判断していたが、日本ではすぐに当時の社会党や共産党を中心に「参加反対」の声が巻き起こった。カイザー氏が日本外務省を訪ねると、当時北米局安全保障課長だった丹波実元駐ロシア大使が頭を抱えていた。丹波氏は、カイザー氏に「今から100種類の答弁書を作る必要があるから、手伝って欲しい」と訴えたという。
1980年に航空自衛隊に初めて引き渡されたF15戦闘機を巡ってはF100エンジンに起きたトラブルから、やはり「導入反対」の声が日本国内で起きた。当時、グアムに駐留していたB52戦略爆撃機が台風シーズンを避けて嘉手納基地に一時飛来したとき、あるいは、米原子力潜水艦の日本寄港のときなど、現地や東京で必ず大規模な反対運動が起きた。カイザー氏は米国大使館で、抗議の文書を持参した人々に面会する役回りを命じられていた。カイザー氏は「反対派の人たちはポライト(礼儀正しい)で、米国政府の人間が会ってくれたことに感謝しているようでした。私は、今でも当時、使った日本語を覚えています」と語る。それは「オオイニ、イカンデアリマス」という言葉だった。