製造から20年経つチャレンジャー2と70年前に製造されたT-55がゆくゆくは戦場で対峙する可能性は十分にあり得る。そうなった場合、歴史に照らし合わせると、ほぼ間違いなく短期かつ一方的な戦いになるだろう。
近代的なチャレンジャー2と旧式のT-55の最後の衝突は「自転車が自動車に挑むようなものだった」と、ある英国軍の戦車乗員は英紙ガーディアンに語っている。
その衝突は2003年3月下旬にあった。米国を中心とした有志連合の軍はイラク全土で攻撃していた。10年近く続いた悲惨な占領の初期段階にあたる。
英陸軍王立スコットランド近衛竜騎兵連隊のC中隊に属する14両のチャレンジャー2戦車は、石油の豊富なイラク南部のファオ半島の支配をかけて戦う英軍旅団を支援していた。
20年前の3月27日、14両のT-55戦車で編成されたイラク軍の中隊が反撃に出た。潜んでいたバスラ近郊の雑木林から出てきた旧ソ連の戦車T-55は最初は集団で移動していた。
だが、英軍の大砲でその陣形は崩れた。そのとき、チャレンジャー2が戦闘に加わった。王立スコットランド近衛竜騎兵連隊博物館の学芸員スチュアート・ケネディは英雑誌ブリテン・アット・ウォーに「進軍は難航した」と語った。
「C中隊は塩類平原と干上がった湿地帯を通過するというルートをとった。戦車が移動できる地面はパイプラインが通る小道に沿っところだけだった」という。
戦車の重みに耐えることができる地面を慎重に移動し、英軍の戦車はついにイラク軍と向き合った。「まず敵の戦車14両を確認し、砲兵が攻撃を開始した。15分後にC中隊の第2部隊と第3部隊が加わった」
結果は明白だった。4人乗りのチャレンジャー2はタングステンで装甲され、重量は69トン。完全に安定が保たれている120ミリのライフル砲と高性能の昼夜対応の暗視装置を備えている。
同じく4人乗りのT-55の重量はわずか40トンだ。鋼鉄製の装甲は現代の基準からすると薄い。100ミリ砲をある程度正確に撃つには戦車の動きを止めなければならない。初期モデルのT-55には暗視装置がない。暗闇の中、乗員は戦車の位置を浮かび上がらせる赤外線スポットライトで目標を見つける。
だがイラク軍の戦車部隊はアルファウでの戦いに負けただけではない。全滅した。英軍の関係者はガーディアンに、イラク軍の乗員は「特攻任務」についていたと語った。「理性的な行為ではなかった」とも指摘した。
C中隊の第4部隊を率いた司令官ハリー・ジェイムソンは「複数のT-55が夜に主要ルートを塞いでいた第1部隊に接近した。そのT-55は破壊された」とブリテン・アット・ウォーに語った。
「私がいた検問所に2両のT-55がやってきて、我々はそれを破壊した。第4部隊が見張っていたときに同じことが起こり、4両のT-55を破壊した。それが終わるころには、アルファウにはもうイラク軍の歩兵も装甲部隊もいなくなっていた」(ジェイムソン)。
ウクライナで同じような戦車の対戦があり、違った結末になると考える理由はない。あれから20年。しかしチャレンジャー2は今でも世界最高の戦車の1つだ。そしてT-55は2003年、あるいは1973年当時より役に立たない。
(forbes.com 原文)