実に1965年から続く、マツダのIT化の歴史
安田稔(以下、安田):マツダ様は早くからデジタル化に取り組んでいると伺い、その先見性に驚きました。木谷さんも、一貫してデジタル化に関わってきたそうですね。木谷昭博(以下、木谷):当社の歴史を遡ると、CAD(設計をコンピューター上で行うソフトウェア)を自社開発し始めたのは1965年です。私は1982年に入社して試作部に配属になり、1年目の夏にCADとCAM(CADのデータを元に、工作機械を動かすためのプログラムを作るソフトウェア)を開発する全社プロジェクトに参画しました。それ以来、マツダのIT化とともに歩んできた社会人人生です。
当時のCAD/CAMはすべて内製で、私はCAMの開発を担当しました。学生時代の専攻は材料工学でしたから、プログラミングを1から学んで実践するという、想像と異なるキャリアのスタートでしたね。
その流れで、1996年から2007年にかけては「MDI(Mazda Digital Innovation)プロジェクト」に参画しました。このプロジェクトは、フル3次元CAD/CAMを導入して開発を効率化する、当時としてはかなり高い目標を掲げたものだったのです。
実はこのプロジェクト発足の少し前、当社は経営危機のさなかにありました。経営革新の一環として開発期間の短縮を目指しており、フル3次元CAD/CAMを内製して開発することになったわけです。コンパクトカーの初代「デミオ」(現在の「MAZDA2」)を皮切りに、MDIプロジェクトによって、多くの車種がフル3次元CAD/CAMを使った開発に置き換わっていきました。
あれから時が経ち、いまでこそ市販のCADを使っていますが、すべてがそれに置き換わったのは2017年。つい最近のことなんですよ。内製CADの機能を超える市販のCADがなかなかありませんでした。1965年からCADの開発に着手してから数十年の時を経て、使いたい市販品が見つかった形です。
IT部門の重要性を認識し存在価値を高めることが、経営側の役割
安田:マツダ様の壮大なIT化の歴史に圧倒されますね。「MDIプロジェクト」を終えた2007年以降は、どのような経験をされてきたのでしょうか?木谷:「パワートレイン開発本部」や、「R&D技術管理本部」のリーダーとして、業務プロセス改革や風土醸成といった体制づくりに携わりました。会社を飛び越えて、広島の自動車業界における産官学連携も推進しましたね。
2016年には「MDIプロジェクト」を再び動かすことになりました。先のMDIから発展して、ものづくりだけでなく販売までバリューチェーン全体を巻き込み、世界中の拠点を繋ぐ一大プロジェクト「MDI2」です。
さらに2019年、MDIプロジェクト室とITソリューション本部を統合して「MDI&IT本部」を立ち上げました。私が担当役員に就き、業務設計からシステムの企画・導入・運用までを一貫して行う組織とすることで、ITを本格的に推進する体制を整えたのです。
安田:役員になられて、木谷さんご自身の中で”意識の変化”みたいなものはありましたか?
木谷:デジタル化は経営トップをはじめ、皆が関心をもち続けてきたことですので、役員になって急に意識がガラリと変わったことはありませんね。
ただ、「ITソリューション部門」を管轄してみて初めて気づいたことがありました。それは、業務の性質上、依頼に対して忠実にシステム化をする、受け身の姿勢が強いことです。ものづくりの部門に比べて予算の制約が大きいものの、かといって予算やリソースを確保するために経営に交渉するような風土でもありませんでした。
ですが、これからはITが主役の時代。MDI2でもITソリューション部門は欠かせない存在ですから、「もっと積極的に、やりたかったことをやろう」と声をかけ、風土を変えようと考えました。優秀なメンバーが揃っている部門なので、社内で前面に立っていけば、経営の大きな力になるはずです。彼ら・彼女らの位置付けを変えてあげることは、経営の役割だと思って取り組んでいます。
また、これまでは、ものづくり中心にDXに取り組んできましたが、「MDI2」以降は、あらゆる領域を対象とし、「会社丸ごとMDI」を進めています。営業やバックオフィスも含めて、業務の領域単位で課題を洗い出し、どう「会社丸ごとMDI」ができるのかを議論するワークショップをやっています。並行して、社員へのAI教育も実施しているところです。
リーダーの仕事とは、説得し、やる気にさせ、定着させること
安田:ものづくりに関わるビジネスパーソンは、誰もがいまの仕事へのこだわりと誇りをもっていると思います。現場の皆さんにデジタル化を理解してもらうために、どのような取り組みをされてきたのでしょうか?
木谷:現場を説得し、やる気にさせ、定着させることがリーダーの仕事ですよね。まず、デジタル化で目指す姿を見せることが肝要です。これだけの問題が解決されるという青写真を見せて、理屈としての正しさを示します。
その次に体制構築をして施策を動かし始めますが、それでも現場は納得しないものです。現場に理解してもらうためには、成功事例をつくり、その成果を周知することが必要だと思います。たとえば、3次元CADを導入して、10の設計グループのうち2グループで爆発的に生産性が上がったとします。そうしたら、2グループの成功事例を社内に共有して、叱咤激励するんです。あの手この手を使い、成果をもって理解を促し続けるうちに、いつの間にか改革を「当たり前」にしていく。この仕掛けが何より重要だと思います。
また、こうした改革には専任の担当者が必須です。他の仕事と兼務しているメンバーだけでやると99%は恐らく失敗するでしょう。改革を推進する担当者は、業務の全体像を把握し、目指す姿を示した上で、オペレーションの設計を見直し、マニュアルを整備して、トレーニングもしなければなりません。多くの人を巻き込む、大変な作業です。こうした一連の改革にコミットする専任を置く体制をどれだけ築けるかも、リーダーの腕にかかっていると思うのです。
安田:現場への理解を促すのは欠かせないことですね。自動車の開発では、多くの部品サプライヤーも関わると思います。サプライヤーの協力も必要だったのではないでしょうか?
木谷:その通りです。ものづくりの改革で難しいのは、サプライヤーの協力体制がないと進まない点です。我々の場合、当社開発のCAD/CAMをサプライヤーにも導入していただく必要がありました。サプライヤーにはマツダのCAD/CAMを購入してもらったものの、すぐに使いこなせるわけではありません。そこで、皆さんに当社へ来てもらい、CAD/CAMを使った一連のオペレーションを説明する場を設けたのです。私も直接、説明させて頂きました。
フル3次元CADの導入時は、設計工数がかかる点で理解を求める必要がありました。フル3次元で設計すると、設計後のシミュレーション精度が高くなるメリットがありますが、設計工数は2次元CADの倍はかかります。工数が増えるとなると、総論では賛成でも、不満の声が出てくるものです。開発全体を見渡したらこれだけ良くなると説得したり、3次元化した場合の開発進捗もすべて見せたりして、粘り強くコミュニケーションをしましたね。
サプライヤーまで巻き込んだ改革は、コミュニケーションが欠かせません。どのプロジェクトでも、浸透策に膨大な時間を割いてきたように思います。
「エンジニア」とは、新しい世界を見る仕事だと思っている
安田:ご入社以来、一貫してマツダのIT改革に邁進してこられた木谷さんにとって、その推進力の源とはどのようなものでしょうか?木谷:大学時代、研究室の先生からもらった言葉が、私の職業観に大きく影響しています。卒業研究のテーマを決める際、「研究とは、世界で初めてやることだ」と言われたんです。扱う領域は狭くとも、世界初の研究をする。そう考えるとワクワクするじゃないですか。
エンジニアとは新しい世界を見る仕事であり、新しいものを作り出して社会に貢献するのが工学なのだと、いまでも思っています。
デジタルの世界も、新しい世界をつくる点で共通していますね。自分たちがやっていることは世界初なのか、世界でどのレベルだろうか、DXを世界一やっている自動車会社はどこだろうか、自動車業界よりDXが進んでいる会社はあるのか。こういった視点で見れば見るほど、まだまだ上はいるなと痛感するわけです。
その一方で、現場に目をやると、うまくいっている部門もあれば、そうでない部門もあって、課題は尽きません。世界を見たらまだまだ勝てていない、現場を見たらまだまだできていない。終わりなく、永遠にあがいている状況ですね(笑)。
それでも、マツダは面白いことをたくさんしているし、世界で遅れているわけでもないと思います。だからこそ、もっと良くしていきたいという気持ちは大きくなるばかりです。
安田:ありがとうございます。日本のIT化の先陣を切ってきたマツダ様のさらなる発展が楽しみです。
木谷昭博(きだに・あきひろ)◎1982年、山口大学工学部生産機械工学科を卒業後、マツダ入社。2002年MDIプロジェクト推進室長、2007年パワートレイン革新部長、2013年R&D技術管理本部長、2019年MDIプロジェクト室長兼ITソリューション本部長を経て、同年執行役員MDI&IT本部長などを歴任。2022年より、常務執行役員MDI&IT担当に就任し現在に至る。
安田稔(やすだ・みのる)◎1985年、明治大学工学部卒業。デュポン・ジャパンでの営業経験を経て、1994年、コンパック日本法人入社。以降ITトップカンパニーで事業責任者を歴任。2015年8月、レノボ・ジャパン入社。同年レノボ・ジャパン執行役員専務、NECパーソナルコンピュータ執行役員に就任。2018年5月より、レノボ・ジャパン執行役員副社長。
日本のDXを牽引する“IT改革者たちの脳内”
第1回 丸井グループ 海老原 健氏
第2回 沖電気工業 坪井 正志氏
第3回 マツダ 木谷 昭博氏(本記事)
第4回 明治安田生命保険相互会社 牧野 真也氏
第5回 三菱電機 三谷 英一郎氏