電通国際情報サービス(ISID)は、アイデアとクリエイティビティを掛け合わせ、企業の事業成長や社会の変革をテクノロジーで支援する、ユニークなITプロフェッショナル集団だ。
そのなかでも、渋谷謙吾が所属するオープンイノベーションラボは特異な存在だと言えるだろう。本来は動かない物が動くことで、人々の生活をより快適にしたり、環境や景観に好ましい変化をもたらしたりする可能性に着目し、自律移動ロボットの技術研究開発を進めているという。
その中心にいるのが、HCI(Human Computer Interaction/Human Centric Interface)グループでマネージャーを務めている渋谷である。
生命科学からロボットへと向かった思考の道筋とは
谷本有香(以下、谷本):渋谷さんは、大学時代からロボット工学を学ばれてきたのですか。渋谷謙吾(以下、渋谷):いえ、実は違います。大学では生命科学、大学院では医科学を学んできました。確かに少年のころから工作やゲームをつくることは好きでした。大学では機械や電気の道に進もうと思っていましたが、予備校の先生のひと言が人生を変えたのです。それは、「飛行するための構造体として世の中でもっとも完成されているのは鳥である」という言葉でした。
谷本:その言葉に触発されて、生命科学を学ぶことにしたと……。
渋谷:「これまでに人間が一生懸命にデザインしてきた人工物よりも生き物の方が完成度は高いんだな」というのが衝撃的で、生き物に対する興味が深まっていきました。自分が将来的に何かを考えたり、つくったりするうえでは生き物について学んでおくことが重要だなと……。それで生命科学を選択しました。
谷本:そのように考えた渋谷さんが、どのようにしてロボットへと向かわれたのでしょうか。
渋谷:大学で学びながら、大人になっていく過程で「人間の幸せとは何か」ということについても深く考えるようになったのです。私のなかで「欲しいものが欲しいときに欲しいだけ手に入ること」が人にとって幸せだと考えるようになりました。しかし、それは「金銭」や「飲食」などによって物質的に満たされることだけを指しているのではありません。目に見えないもの、精神的なことこそ大事です。すなわち、心を動かすことが幸せに直結しているのだという結論に達しました。そうしたときに、「心を理解して、寄り添いたい」と思ったのです。生き物の見地から、心を理解するためには脳を理解する必要があると感じ、大学院からは医科学、中でも脳・神経を対象とした神経科学の道に進みました」
谷本:物事の本質を探ろうとするというか、突き詰めて研究していこうとする性(さが)が渋谷さんにはあるのですね。しかし、まだまだロボットからは遠い世界にいますね。
渋谷:私の場合、その突き詰めていく研究が、ひとつの壁にもなったのです。生命科学や医科学の研究においては「還元主義的」と言われる、何かの機能を調べるときに「脳のこの領域にある、この細胞のなかの、このタンパク質をコードしている、この遺伝子の仕組みを……」というようにどんどん細分化していく流れがあります。論文を出すためには、そうした研究が大事であり、意味があることなのですが、「それを自分が死ぬまで続けたとして、心の理解はできるのだろうか」と考えたときに、「自分には実現できないな」と思ってしまったのです。細分化して何かを突き詰めるのではなくて、マクロで捉えたうえで、実際につくってみて確かめる。そうした方法がひとつの近道なのではないかと考えて、「心をつくり、その仕組みを理解したい」という想いを抱くようになりました。
谷本:そうした想いを抱きながら、どうして大学院の修了後にISIDに入られたのでしょうか。
渋谷:つくることができる能力について考え、つくることができる仕事を探していくなかで、『頭の中で想像したものを素早く自由自在に形にする』という観点で、ソフトウェア開発、プログラミングは適した手段だと考えました。また、心のような、大きくて複雑なものをつくる設計の方法論がどこにあるかというと、システムインテグレーターという会社ではないかと思いました。システムインテグレーションを手がけている会社をいくつか見ていくなかで、マーケティングなどの観点で人の心に寄り添う仕事をしているのが電通グループで、そのなかのシステムインテグレーターであるISIDならば、私がやりたいことにも挑戦できるのではないかと考えた次第です。
谷本:ISIDに入社されてから、ロボットへとたどり着いていく道のりを教えてください。
渋谷:入社してからは事業部に対する技術支援だったり、新しい技術を調査してその活用方法を推進していったりする組織で働いていました。入社当時は、Androidを搭載したスマートフォンが日本ではじめて発売されるというようなタイミングでした。スマートフォンが出てきたことでITのあり方は変わりました。「ITのあり方を変えるような、次のテクノロジーは何なんだろう」と考えていくと、そのひとつがロボットでした。
ロボットの定義をひも解いていくと、「センサー」「知能・制御」「アクチュエーター(駆動装置)」の3つからなると言われています。いま、センサーと知能・制御系は世の中にあふれています。スマートフォンもそうですね。ロボットとスマートフォンの違いは結局のところ、アクチュエーターなのです。モーターなどによって移動できたり、何かをつかんだりといったように物理世界に干渉することがロボットの価値の本質だなと思ったのです。
私たちがいまもっているスマートフォンは、ここ20年くらいで小型化して、安くなり、処理速度が速くなってという進化を遂げてきましたけど、これから先においてどれだけ進化しても、直接お茶を汲んで持ってきてくれたり、手元にあるごみを代わりに捨ててくれるといったことはできないでしょう。なぜかと言うと、物理世界を歩ける肉体がないからです。それをできるようにするのが何だと考えた末に、ロボットに着眼しました。
谷本:生命科学から脳科学を経て、遂にロボットに到達しましたね。渋谷さんならではの「心を理解したい」という本質的な想いは、ロボットにおいてどのように反映されているのでしょうか。
渋谷:最初は「心を理解する」ために、AIが組み込まれたデジタルペットのようなものを追いかけていました。ですが、現状では「デジタルペットには心がある」と信じて人間が一生を共にするということがあまり起きていませんね。しかしながら、物理世界に作用しながら人のそばにいるということが、人間から観て「心がある」と捉えるきっかけになっているのではないかと考えています。
谷本:犬や猫などのペットには、多くの人が愛情を感じ心を感じて共に暮らしています。ロボットに対して人間が心を感じることは可能なのでしょうか。
渋谷:例えば、これは時空を超えた空想実験になるのですが、あるロボットがレオナルド・ダ・ヴィンチの家で動いていたとします。彼自身は、解剖学の天才でもあるわけです。生き物の仕組みを調べていった先の彼が、「ロボットには心がない」と結論づけるかどうか……。ダ・ヴィンチは「ある!」と言うのではないかと私には思えるのです。ロボットと人間の違いは何か。生命科学を学んできた者として思うのは、人間がタンパク質とか水分といった素材でできているというだけであって、機械仕掛けで動いているという点では人間もロボットも変わらないと思っています。そうした考え方が私の出発点になっているのです。
谷本:先ほど、渋谷さんはロボットの定義として「『センサー』と『知能・制御』と『アクチュエーター(駆動装置)』の3つからなる」とおっしゃいました。実は、この3つで成り立っているという意味では、確かに人間もロボットと同じですよね。それぞれの機能を果たしている素材そのものは、まったく異なっていますけど……。これまでに私は「人間もロボットと変わらない」という視点で物事を考えてきた経験がなかったので、いま、頭を強く揺さぶられているような感覚でいます(笑)。
渋谷:そのうえで、心の本質とは何かと考えていくと、受け取り手というか、それを観察する立場にある側に大きく依拠すると私は思っています。いまの世の中で「ロボットに心がある」と考える人は少ないでしょう。しかし、生まれたときから家庭にロボットがあり、共に過ごしている「ロボットネイティブ」とでも呼ぶべき子どもたちが30歳になったとき、彼ら・彼女らが「ロボットに心を感じる」ということは十分にあり得ることです。そのように「心を感じる」ようなロボットをつくることが可能であると、私は考えているのです。
谷本:渋谷さんが目指しているのは、そこですね。
渋谷:はい、そうです。人間がロボットに対して心を感じる瞬間というのは、人間から寛容性が引き出される瞬間なのではないかと思っています。この時代において、ひょっとしたら人間は寛容性を失い続けているのかもしれません。そうした人間たちに対し、寛容性を思い出させてくれる存在になるのがロボットなのかもしれないと考えています。
谷本:今日、渋谷さんは、人間の幸せは、「欲しいものが欲しいときに欲しいだけ手に入ること」だと考えているといった趣旨のご発言をされました。それは物質的なことのみにあらず、精神的に満たされていることが大事であると……。そのように考えたとき、心を感じさせてくれるロボットは人間の幸福感を助長する、あるいは幸福感を生み出してくれる存在として活躍する余地が十分にあるということになりますね。
渋谷:人間の心には、「他者の心を感じる機能」があると思っています。その他者のなかに、今後はロボットも含まれていくのが時代の趨勢ではないでしょうか。人間がロボットの心を感じ取れるのだとしたら、それが人間の幸せに直結していくことは十分にあり得るでしょう。
谷本:時代の趨勢という意味では、昨今のロボティクス界隈では人口減、労働力不足に対するソリューションとしてのロボット開発が話題になっています。22年9月にテスラが試作機の完成を公表した「オプティマス」もそうです。あのロボットは、身長が約170cm、体重が約73kgのヒューマノイド(人型ロボット)ですね。労働力不足に対応するべく、まずは工場での活用を想定しています(イーロン・マスクは、1体2万ドル未満で3〜5年後に出荷をはじめる見通しを示している)。「他者の心を感じる機能」が人間の心に備わっていたとしても、私は人間が「オプティマス」に心を感じることはないように思います。それはなぜかと言えば、「オプティマス」というロボットが使役の枠組みを離れていないからです。
もっと言えば、人間によって使役される側には「心があってはならない」からです。自律したロボットが人間に対して反乱を起こす物語。そうしたサイエンスフィクションのようなストーリーが想起されるため、使役される側のロボットには「心があってはならない」と人間は思い込んでいます。しかし、渋谷さんがつくっているのは、使役される者ではなくて、寄り添う者としてのロボットなのですよね。使役される者には「心があってはならない」と考えますが、寄り添う者には「心があってほしい」と考えるのが人間の心理だと思います。そう考えたときに、「反乱する者ではなく、幸せを届ける者としてのロボット」という考え方が成り立つのでしょう。
人間に寄り添う者としてのロボットとは
渋谷:先ほど、「ロボットとスマートフォンの違いは結局のところ、アクチュエーターである」という話をしましたね。「モーターなどによって移動できたり、何かをつかんだりといったように物理世界に干渉することがロボットの価値の本質である」と。私は、モノを動かす技術としてのロボティクスに注目してきました。19年7月にスタートしたのが「動く家具」プロジェクトです。家具が動くことによってもたらされる新しい価値。それを生み出し、サービスやビジネスにつなげていこうというプロジェクトになります。このコンセプトに共感していただいた多くの企業との協業により、いくつかの取り組みが並行して進んでいます。当然ながら、ISIDはITの会社なので、ロボットや家具を扱う企業とのオープンイノベーションになります。谷本:センサーで周囲を検知し、自らの位置を確認しながら、特定の位置に移動してくれるロボット的な家具があるとしたら、それは人間に寄り添う者として大きな可能性が期待できそうですね。
渋谷:そうなんですよ。会議の時間になったら、会議室にある机と椅子が使われ方に応じたレイアウトになってくれるとか……。家庭においては、お子さんや老人、障害のある方に優しく寄り添う家具というものが考えられると思います。これまでは動かなかったものが動きはじめたときに生まれる価値という意味では、観葉植物に水をやるためのジョウロが動き始めるのだって、ありだと思うのです。シューキーパーがロボット化してもいいでしょう。私たちは、まだ現段階では架空のロボットばかりを集めた空想カタログもつくっています。
谷本:空想カタログをつくってしまおうということ自体がおもしろいですし、素敵な発想ですね。
渋谷:このようなカタログをつくろうと考えたときに、アートディレクターやコピーライターといった人々が近くにいるということが電通グループの強みのひとつだと強く実感しました。アートディレクターやコピーライターといったプロフェッショナルたちは、動く家具というかつてない世界観に触れても「自分ごと化して考えていく力」の非凡さを示してくれたと感じています。
谷本:このような空想カタログをつくりたいと誰かが手を挙げたときにも、高い熱量と技能をもって応えてくれる仲間がいるということ。確かに、そのこと自体が電通グループのケイパビリティを如実に示していると感じますね。
渋谷:実は、もともと仕事を離れたプライベートにおいてもロボットをつくっていまして、これが仕事に転じたところがあったりもします。このような個の熱量を受け止めてくれる器という意味で、関わってくれた方々には感謝と尊敬の念に堪えません。
谷本:会社のみならず、自宅においても! プライベートでは、どのようなものをつくっているのでしょうか。
渋谷:車輪タイプではなく、多脚タイプのロボットです。例えば、髪を乾かすドライヤーの多脚ロボットですね。車輪よりも多脚の方がカーペットの上でも移動しやすいですし、傾きによって風の向きを調整していく意味でも有利です。自宅では、小さな娘に髪を乾かしてもらいながら実証実験を重ねています。
谷本:まさに、渋谷さんのご自宅ではロボットネイティブなお子さんが育っているというわけですね。「仕事だから、やる」のではなくて、「やらずにはいられないから、やる」というところに渋谷さんの天才性を感じます。そういう人間が数多くいる。それが、電通グループの凄みだと強く感じますね。
今回の対談における重要なキーワードは、「心」だ。渋谷は、「人間であれば、ロボットからも心を感じることが可能だ」と言った。それはすなわち、つくり手である渋谷が自身の作品であるロボットたちに心を込めているということではないだろうか。その心を、使い手が読み取ってくれるということだろう。
心を込める。それは、人間だからできることだ。「心を込めること」にこそ、競争優位性の源泉があるのではないか。目に見えやすいテクノロジーやテクニックとは違って、心は簡単には模倣ができないからだ。
渋谷が産み出すロボットたちは、人がいるところに置き換わるのではない。人がいるところに寄り添い、新しい関係性を築いていく。代替者あるいは侵略者のイメージではなく、寄添者あるいは関築者というネオロジー(造語)が相応しい。
他にはない視座で、まだ言葉にもならない世界観を現実のものにしようとしている人間が電通グループにはいる。渋谷の、そして彼の仲間たちの、未踏の世界を自分ごと化できる能力が、未来を素晴らしいものに変えていくことを期待したい。
渋谷謙吾(しぶや・けんご)◎大学で生命科学、大学院で医科学(神経科学)を学んだ後、ISIDに入社。デジタルをアップグレードする新技術について研究開発の企画・推進を担当。機械学習、AR/VR、ロボティクスなど近年のトレンドに広く精通し、プロトタイピングや啓発活動を得意とする。「OGC・会津大学 誘導ロボット実証実験」など、数多くのプロジェクトに携わってきた。プライベートでは多脚愛好家として「歩く家具・家電」を開発中。
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