(前回の記事:心臓が止まりかけた夜 臨死体験から得た、幸せ三原則)
医師の「衝撃的な宣告」から一転
2012年初めのこと。地元の総合病院での入院生活が長引いていた押富さんに、主治医Aさんは今後の見通しを告げた。
「押富さんはこの先、病院か医療の整った施設で一生過ごすしかないと思う」
衝撃的な宣告だった。
2008年末に最初の長期入院から在宅復帰した際に、訪問診療、訪問看護、ホームヘルプなどの体制を整えてはいたが、二度目の長期入院の間に肺の状態が悪化して24時間の人工呼吸になり、Aさんは「この状態で家に帰したら、すぐに死んじゃう」と考えていた。押富さんも反論できず、ケースワーカーに転院先の療養型病院か施設を探してもらうことに同意した。
だが、転院先が決まらないうちにAさんが異動し、新しい主治医Bさんは「医学的なことは置いておいて、押富さんはどうしたい?」と希望を聞いてくれた。答えに迷いはなかった。
「家に帰りたい」
そんなの無理だと言われると思いきや「そうだよね。在宅医療をフル活用して、家に帰る準備をしよう」と、あっさりOKが出て拍子抜けした。
前回の在宅療養を支えてくれた、たんぽぽクリニック(愛知県長久手市)の服部努院長を核に、人工呼吸の対応をできるヘルパー、訪問看護師などを探し、3カ月後に在宅復帰を果たすことができた。そこから9年後に亡くなるまで、年に5~10回ほどのペースで短期入院を繰り返したが、最期まで生活拠点は「わが家」だった。
変わる「在宅医療」のあり方
2人の主治医の意見はなぜ食い違ったのか。
押富さんは「在宅医療の知識と理解の差」とみている。
この時期、在宅医療は急速に成長し、特別な処置である「在宅人工呼吸管理料」を算定された患者数は、2008年の約1万2300件から2014年には2万4200件へと、6年間でほぼ倍増した。大きな手術や高度な検査、集中治療などを除けば、病院でできる医療の多くが在宅でも可能な時代になりつつあった。Aさんは在宅医療の進歩を知らず、選択肢から外してしまったが、Bさんは在宅医療や地域連携の新しい動きに理解があり「いける」と判断したようだ。