これほど順調なのに、なぜ怒っているのか。それを理解するには、日本のPMO事情を知る必要がある。
「日本はプロジェクトマネジメント人材が不足しています。アメリカのシステム開発は発注側企業がリソースの7割、ベンダーが3割のバランスで、発注側が全体をマネジメントします。一方、日本企業は発注側が3割で、ベンダーの言いなりです」
高橋は、状況を変えるために17年前にPMO支援のコンサルティングを始めた。支援するうちに企業内で人材が育ち、自立してPMOができるともくろんでのことだった。
「ところが状況はいまも同じ。教育は時間がかかるのに、企業は社内で人を育ててこなかった。わが社の成長は、日本企業が自立していないことの裏返しです。そう考えると、うれしさより先に怒りが立って……」
本心であることは、ソフトウェア事業への挑戦を見ればわかる。同社は企業にコンサルタントを派遣しているが、そのノウハウをツール化して提供すれば、企業はコンサルタントに頼らずに自前でPMOができるようになる。高橋の本命はこちらだ。実はこれまで事業化を3回試みたものの、いずれも時期尚早で撤退。「3億円はドブに捨てた」という。
普通なら見切りをつけて、もうかるコンサル事業にリソースを集中させるだろう。しかし、現在新たなプロジェクトマネジメントソフトウェア「PROEVER(プロエバー)」で4回目の挑戦中だ。これだけ執着するのも、日本企業を「自立」させたいという思いが本物だからである。
経営者には、ビジョンに導かれるように前進するタイプと、不満や怒りを原動力にするタイプがいる。高橋は典型的な後者だ。小学校3、4年生のときにいじめにあった。勘が鋭く、まわりと違ったことを言うので目をつけられやすかった。「たぶん統合失調症のような状態になっていました」。鬱々(うつうつ)とした日々を救ってくれたのは、ロックバンドのX JAPAN。高校時代はYOSHIKIに憧れてドラムをたたき、内に抱えていたものを発散させた。
非合理なことを強いられる組織を嫌い、大学卒業後はアンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)へ。そこでWBS(ワーク・ブレイクダウン・ストラクチャー)という手法に出合う。
「引っ越しが好きで、そのたびに、仕事でもないのにWBSをつくって、『このタイミングで業者を手配したらロスがない』などと管理。私生活でも普通に使うくらいにハマりましたね」
これを大企業に導入すれば、ホワイトカラーの現場でも欧米に負けない生産性を実現できる。そう考えてソニーグループの情報システム会社に転職して、PMOを実践した。しかし、社内の目は冷ややかだった。
「大企業の間接部門は、虐げられるんです。担当したプロジェクトは成功して、その後、全社的にPMOができるのですが、私はそれを待たずに嫌になってやめてしまった」