歌舞伎や能など、美の伝統と言われる芸能の源流が、実は当時の社会のなかでは周縁=マージナルとみなされた身分や職能の人々から誕生しています。こうした既存の社会の枠から外れた人々のこそ、芸能を通じて身分を超えて交流し、地域を超えて旅する人々たちでした。美を媒界としたネットワークを持ち込み、社会に新しい風を吹き込んだのです。
歴史学者、網野善彦の言葉を借りると「無縁」の人々です。それは多様な生物が共存するエコシステムのなかで、新しい「ニッチ」が建設されその環境に反応してさらに新しい進化が生まれることと似ています。
イノベーションが起こる環境について考えるとき、地球にとって生物多様性が大事なように、1)「違い」をそのままリスペクトすること。そして、2)それらが節度を持って交流したり混じりあったり、協同して仕事をしたりする様々な「場」があり、自らとは違う「知」のあり方に触れる機会が多いこと。その2つの側面がとても大事なのではないかと思っています。
仮想空間「セカンドライフ」内の自閉症自助グループ。右端が池上英子教授のアバター「キレミミ」
レイブファッションに身を包む仮想空間内のカリスマDJ、ラレさんに出会い
彼のファンハウスに招かれたキレミミは、彼の視覚世界を具現化した不思議世界(130の部屋もある!)に迷い込むことになった。
「仮想世界のすごいところは、彼らの才能を生かすだけではなく、彼らのものの見方を私たちに教えてくれる、というところ」(池上)。
私はこの両方の側面で、今の日本を心配しています。
日本の伝統社会は結構文化的多様性が豊かでしたが、明治以来の国民国家の形成、さらに戦後はテレビやメディアを通じて誰もが同じ表現や情報に接することが多くなりました。加えて教育制度や日本独特の「会社文化」といったさまざまな均一化マシンのおかげで、多様性というイノベーションの豊かな資源の活力がずいぶん弱くなってしまったように思います。
標準化の進んだ社会は、一見効率的な側面もあります。でも皆がそこに無理に合わせると、集合的な知性の活力を削いでしまいます。さらに危機と大転換の時代には、多様な視点を含んだ組織・集団脳のほうが、不確実性な未来への対応力が高まります。
私は、渡米当初まったく英語ができず苦労しましたが、日本と異なる文化のなかで「泳ごう」としてもがいた経験が、自分の可能性を思いもかけない方向と深さで確実に広げた、という感覚があります。
さらに自閉スペクトラムの人々との仮想世界での出会いは、文化や言語という違いよりさらに深い、そもそも生まれつき「世界の見え方」が違う人たちとの交流でした。
その経験は、私のこれまでの価値観を揺さぶり、大きく成長させてくれました。アバターを介した仮想空間でなければ、近づく勇気もなければ、経験できなかったことだと思います。