また、ニューロ・ダーバースな人々の地位を押し上げたパイオニアで、自閉症当事者であり、動物行動学の専門家で、博士号をもつテンプル・グラディンです。彼女はこれまで640万回再生されているTEDトークの中で、視覚優位の特性を持つ自閉症である彼女自身がどのように世界を見ているか、情報を処理しているか、またそれがどのように自身の仕事である家畜施設のデザインに生かされているかについて、明快に述べています。
さらに、自閉スペクトラム症の人々を「視覚型」「パターン型」「言語型」などの特性に分類し、それぞれ優位な才能があるにも関わらず、社会的なコミュニケーションが苦手といった様々な特性のせいでの不遇な扱いを懸念し、いま世界は彼らの才能と共に働くことが求められている、と強く述べています。
天才とニューロダイバース
歴史上、ほとんどの大きなイノベーションや文明的に画期的な新発見は、非定型的な感覚・知性をもった個人の力が関わっていることが多いのです。
本の中でも詳しく紹介していますが、モーツァルトやアインシュタインもアスペルガーではなかったかとも言われていますし、抽象絵画の父といわれるカンディンスキーも音楽を色で感じるニューロ・ダイバースな人だったと言われています。日本の宮沢賢治にもそんな共感覚があったそうですし、江戸絵画の伊藤若冲の独創性とニューロダイバースな感覚に関する研究もでています。
もちろん、発達障害の人たちは、高機能自閉症の人に限っても誰もが天才ではありません。ほとんどの人は生まれつき感覚や認知方法が違うため、生活で困難を感じている人々です。しかし、この違い自体は、環境が変われば実は強みになる場合、少なくともその可能性があります。こうしたニューロ・ダイバースな人々とその可能性を排除してしまうことは、社会にとって大きな損失です。
また、これは突出し優れた個人の話だけではありません。生まれつき持った能力の「癖」を見抜きいかに社会と結びつけ、イノベーションにつなげるのか、集団やグループによるイノベーション=集団的な創造的知能のあり方についても言えることです。
もともと私は歴史社会学者として米国で活動し、「ネットワーク分析」と「創発性」という、社会学的視点から江戸の社会を研究してきました。
江戸時代には、厳しく分割統治された表向きの「タテ社会」とは別に、特に俳諧や狂歌といった文芸や芸能の世界では、一人がいくつもの顔や芸名を持ち、自由な「ヨコの繋がりの場」が存在し、豊かな横断的なコミュニティが広がっていました。
そのような文化の創発性を生む場を、2005年に出版した自著『美と礼節の絆』では「パブリック圏」と呼んで考察していますが、そんな私が仮想空間に興味を持ったのは、いま、このような「場」が生まれるとすればインターネットのなかであると思ったからです。