3兄弟の絆を描いたヒューマンな音楽映画「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」

「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」(C)2020 Polygram Entertainment,LLC–All Rights Reserved


転機のきっかけはクラプトンの助言


作品中のロビンとモーリスのインタビューは、彼らがこの世を去る前の1999年に撮影されたものだが、その他のシーンのほとんどは、バリーも含め現存のアーティストや音楽関係者たちが登場する。

オアシスのノエル・ギャラガー、コールドプレイのクリス・マーティン、モーリス・ギブの元妻でもあった歌手のルル、エリック・クラプトン、ジャスティン・ティンバーレイクなどによるビー・ジーズの音楽に対する正当な評価や貴重な証言などが散りばめられている。

なかでもエリック・クラプトンの発言は出色で、ビー・ジーズがストリングスをバックにバラードを歌うボーカルグループから、リズムに重きを置いたバンドに戻るきっかけは、自分だったと明かしている。


ビー・ジーズ、左からロビン、バリー、モーリスの3兄弟 (C)1978 Shutterstock/Photo credit:Lennox Mclendon/AP/Shutterstock

1974年、クラプトンは自身の転機ともなった名盤「461オーシャン・ブールヴァード」を発表するが、これを録音したのがマイアミのクライテリア・スタジオだった。同じ人物がマネージメントをしていた縁で、バリーと交流のあったクラプトンは、創作の壁にぶつかっていた彼に次のようにアドバイスしたという。

「君たちも英国でなく、米国で録音しろ。環境を変えたほうがいい。彼らの本質はR&Bだと僕は思っていた。開花するためには米国の空気に触れるべきだと」

このアドバイスでビー・ジーズはマイアミへと向かう。クラプトンと同じ家を借りて住み、同じクライテリア・スタジオで、のちに再ブレークのきっかけとなるリズムに重きを置きファルセット唱法を取り入れた「ジャイブ・トーキン」を録音する。

結果的には、これが「サタデイ・ナイト・フィーバー」の音楽にも直結し、ビージーズは再びヒットチャートをにぎわすアーティストとなる。クラプトンはこの復活について、「きっかけが僕だったら、人生最大級の偉業になるだろうね。僕の功績だ」とも語っている。

ビー・ジーズはほとんどすべての曲を自分たちで作詞作曲したオリジナルで勝負していたが、曲づくりに関してはスタジオにこもって3兄弟で意見を出し合いながら進めていたという。さらに彼らの特筆すべき才能は、その兄弟ならではの絶妙のハーモニーにもあった。

「(ビー・ジーズの曲は)王道のポップだが、それだけじゃない。兄弟の声だ。兄弟の歌声は誰にも買えない楽器だ。楽器を買えば、バディ・ホリーの音は真似できる。だけど誰もビー・ジーズのようには歌えない」

オアシスのロリー・ギャラガーが作品中でこう絶賛するように、「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」では、その美しいハーモニーもふんだんに聴くことができる。まさに素晴らしい音楽に彩られた天才ミュージシャンたちの伝記映画となっている。


「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」は11月25日からヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほかにて公開 (C)1970 Shutterstock/Photo credit:South Coast Press/Shutterstock

ビー・ジーズがつくった曲は1100曲を数え、そのうちナンバー1ヒットが20曲、トップ10入りした曲に至っては70曲とも言われている。また彼らがつくったオリジナル曲を歌ったアーティストには、バーブラ・ストライザンド、ケニー・ロジャース、ディオンヌ・ワーウィック、ダイアナ・ロスなど、スーパースターが顔を揃える。

冒頭で「不遇なバンド」と書いたが、バンドとしては紆余曲折を繰り返してきているものの、振り返ってみれば音楽を創り出すアーティストとしては素晴らしい業績を残している。そして、それを支えてきたのは、オーストラリアから世界に飛び立った3兄弟の確かな絆であることを「ビー・ジーズ 栄光の軌跡」は描いている。

言わばこの映画の「主役」でもあるバリー・ギブは、次のように語っている。

「僕たちは兄弟でなかったら30分ももたなかっただろう」と。

連載:シネマ未来鏡
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文=稲垣伸寿

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