マーク・ザッカーバーグによってハーバード大学の寮の一室で生まれ、Twitterの触媒作用を受けた初期のソーシャルメディア企業のコンセプトは、巨大な社会的つながりに依存するものだった。
1つ例を挙げよう。
最近、私はFacebookに家族の写真を投稿した。何年も前にお世話になった教授がその写真にすてきなコメントを寄せ、これからは正式な肩書きではなく、リンダと呼んで欲しいと申し添えられていた。
とてもすてきな話だ。こうしたことを可能にしたのがソーシャルメディアで、FacebookとTwitterが道を切り拓いたのだ。おそらく彼女は私のメールアドレスを知らないだろうから、他の手段ではこのこの写真を見つけることはできなかっただろう。この10数年、私たちはみんな、友人や家族、知人との個人的なつながりの中で、すばらしい時間を過ごしてきたと思う。
だが悲しいかな、数年前から終末の到来を暗示する雷雲が地平線上に現れていた。Facebookは私たちの個人情報を企業が取得し、それを政治的な便益のために利用することを認めていたのだ。Twitterは荒らしの侵入を容認し、同社はまた、荒らしを抑制する方法を考え出す代わりに、多くのアカウントを閉鎖した。
最近では、単なる雷雨として始まったものが大火災に発展している。
先ごろ、Twitterが暴れまわっているが、おそらく意図的に死を望んでいるのだろうという記事を書いた。Facebookは(親会社のMeta[メタ]ともども)、混乱に陥っている。ご存知の通り、マーク・ザッカーバーグは、VR(仮想現実)こそが私たちが知っているソーシャルメディアの未来になると決めたが、そのことについて誰にも相談していない。
実際のところどうなのだろうか?
とりあえず、みんな少し退屈している。これらのアプリは、ここ数年というもの劇的に新しいことはやっていないし、マーク・ザッカーバーグも、そしていまやイーロン・マスクもそれを知っている。投稿して、投稿して、また投稿して。でも、つまらない。Instagram(インスタグラム)では、山の景色の前で両手を広げている人の写真を5000回は見ているが、山は変わらなかった。