歯科医になるはずが起業家に
イ・スンゴンはこれまで、困難に直面しても決して尻込みすることはなかった。韓国トップのソウル大学歯学部出身の彼だが、元々ITの知識はまったくなかったという。
27歳で兵役義務を終えたイは、歯科医として開業するための話を聞くため、歯学部時代の級友に会いに出かけた。ところがその日、彼は開業に向けてすべきことを理解する代わりに、進むべき新たな道を見つけたのだ。友人に言われたわけではない。自身がもっていた、発売されたばかりのiPhone 3GSがきっかけだった。
「極めて刺激的な経験でした」(イ)
アップルが08年に発表したiPhone 3Gは、革命的ともいえるApp Storeによって人々のスマホの使い方を大きく変えた。その後継機iPhone 3GSでは、処理速度が2倍になり、ビデオ撮影も可能になった。だが、イをくぎ付けにしたのは6万5000ものサードパーティ・アプリが提供されているということだった。
「『自分もアプリを開発したい』と思いました」(イ)
彼はデジタル業界進出の野望実現に向けて動き出し、ソフトウェア・エンジニアを1人雇った。事業を立ち上げる資金をつくるため、週に2日はサムスン傘下の病院で歯科医として働き、残りの時間はアプリの開発に専念した。アプリなら何でも試した。セルフィー撮影アプリからオンラインの嘆願書申請アプリまで合計8つを開発したが、いずれも利益を出すには至らなかった。
そんなイが15年に金鉱を掘り当てたのは、韓国でオンライン決済が極めて困難であることにいら立っていたことがきっかけだった。トスが登場するまで、韓国では送金に10ものステップが求められ、いくつもの個人識別番号(PIN)やパスワードを入力しなければならなかった。イが3つのステップで送金が完了するトスを発表するとスマホユーザーに大歓迎され、初年度に60万人が登録した。
韓国の金融大手各社も遅れまいと競ってアプリを発表し、韓国のモバイル決済規模はその後の2年間に4倍の46億ドルに達した。だがイにとっての最大の課題は、歯科医の道に進むのではなく起業家になることで両親の祝福を得ることだったという。
「両親に逆らったのは生まれて初めてでした」(イ)