ほどなく地から湧くような喚声が上がった。左手にバッグを提げながら小さなブーケを持ち、羽毛の房がついた帽子を被ったコート姿の女性が微笑みながら歩を進めてくる。私の横に陣取った老婦人が涙を流しながら叫んだ。
Her Majesty Queen Elizabeth!
過日、女王国葬のBBC中継を見ながら1983年春の記憶がよみがえった。シアトルに立ち寄られた女王は、すでに在位30年余りであったが、当時の英国はどん底の経済と国際的地位の低下にさいなまれていた。いわゆるサッチャー改革は緒についたばかりで、英国といえば英国病が代名詞だった。
英国は第二次世界大戦の戦勝国とはいえ、その被害は甚大であった。戦後は基幹産業の国営化を進めつつ福祉国家を目指した。これが裏目に出た。内には財政の悪化とインフレ高進、労働組合運動の頻発を招き、外には旧植民地の独立や冷戦の悪化で大英帝国の凋落は目を覆うばかりとなった。国際金融の覇権は米国ドルに握られ、1977年には国際通貨基金から借款を受ける事態にまで陥った。
反対に、敗戦国の日本は奇跡といわれるような高度成長を遂げて、Japan as No.1ともち上げられるようになっていた。1980年代の日英は、地球の両端で、日が昇る東の島国と闇夜に呻吟する西の島国という対照的な存在になっていたのである。
だが、日本はほどなくバブル経済が崩壊、デフレ・スパイラルと低成長の底なし沼のような長い失われた時代が続く。アベノミクスが浮揚のきっかけになりかけたが、肝心の実体経済のスピードが増さないうちにコロナ禍に沈んでいる。
英国はより厳しい。前世紀末には、競争主義のサッチャー改革で、国営企業の民営化や福祉政策の見直しと財政赤字の削減を進めた。金融ビッグバンは英国の金融業に競争力をつけた。北海油田も本格的に稼働し、2001年には「英国病克服宣言」を公表するまでになった。
しかし、その後、住宅金融危機、リーマン危機、北海油田の枯渇、移民問題等々に襲われたうえ、BREXITがさらに混迷に拍車をかけた。コロナ禍からの立ち上がりは早かったが、ロシアのウクライナ侵略戦争がとんでもない物価高と市場の混乱を招いている。新政権の経済・財政政策は困難を極め、伏在する地方の独立問題も悩ましい。エリザベス2世の逝去が、同国の行く末に一段と暗い影を落としているようだ。