かつてNATOの脅威だった飛び地防衛のロシア第11軍団1.2万人が消滅

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わずか1カ月間の熾烈な戦いの後、ロシア軍はキーウから撤退した。推定数はまちまちだが、5月に前線が安定するまでの間に、5万人が死亡または傷ついた可能性がある。当時ロシア軍は南ウクライナのヘルソンに戦略港湾を持っており、ウクライナ北東のロシア国境から40キロメートルにある自由都市、ハルキウの郊外に拠点を置いていた。

しかしロシア軍は脆弱だった。そして米国、ヨーロッパ製の大砲やロケットで再軍備したウクライナ軍がロシアの補給線を遮断し始めるといっそう脆弱になった。新たな兵力を切望したロシア政府は、第11軍団を結集させ、船と飛行機で南ロシアのベルゴロドへ、次にウクライナのハルキウ近くへと移動させた。

3カ月におよぶ過酷な戦いは軍団の力をそぎ落とした。ロイター通信は第11軍団の書類の一部を入手した。ウクライナの大規模な反撃直前の8月30日付のスプレッドシートは、軍団の戦力は完全編成の71%であったとことを示していた。しかし、いくつかの大隊は本来の戦力のわずか1割まで減少していた。

軍団にとって状況はますます悪化していった。8月末と9月初旬、ウクライナ軍はハルキウ東部とヘルソン北部の2カ所で反転攻勢を仕かけた。ハルキウ作戦は待ち望んでいた10個のウクライナ大隊からなり、第11軍団を含む当地のロシア軍の重大な弱点を露呈させた。

激烈な2週間の後にウクライナ軍がハルキウ州の2600平方キロメートルを解放すると、何万というロシア兵が当地で逃亡、投降あるいは死亡した。第11軍団は現地のほとんどのロシア部隊よりも被害が大きかった。ワシントンDCの戦略国際問題研究所は9月末に、同軍団が「激しく損傷を受けた」と評した。

それは控えめな表現だったかもしれない。ウクライナ軍の一般幕僚は、反転攻勢によって軍団は車両200台および兵士の「半数」を失ったと結論づけた。

第11軍団が生き延びる可能性はある。しかしそうなるにしても、休養し再装備し召集兵を徴兵して以前の何分の一かの戦力を取り戻すためにも何カ月もの時間がかかることは間違いない。

第11軍団の展開とその後の壊滅は、命令に従って傷つき死んでいった人々にとっては悲劇であり、ロシアのウクライナにおける戦争努力にとっては大きな打撃だ。

しかしこの影響は欧州を横断して広がる。第11軍団は本来カリーニングラードを防衛し、NATOの東部前線に脅威を与えるはずだった。今はどちらも遂行不可能だ。

forbes.com 原文

翻訳=高橋信夫

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