この間の呼吸困難、大発作は、喘息ではなくMGの症状であった可能性が高いと説明を受ける。
これからは、MG(重症筋無力症)の治療がメインになるので神経内科と連携しながら診ていきますということになった。
もっと早く連携してくれていたら、喘息以外の病気の可能性を考えてくれていたら、あんなに症状を訴えていたのに・・・
呼吸器内科の医師にはいろいろ思うこともあるけど、MGとわかった時にあれだけ心配してくれて驚いてくれたのだからと思う部分もある。
自分の専門分野でないのなら、すぐに精神的だとか詐病とか言わずにもう少し考えてほしい。
MGと診断されて、少しホッとしている自分に気づいていた。
診断の遅れにつながった理由
この「少しホッとしている自分」は、あらぬ疑いを晴らせたという気持ちもあるが、それ以上に「答えが出た」という思いが大きかったようだ。
2013年7月に専門誌の作業療法ジャーナルで闘病記を連載した際には、こう説明している。
実際に難病と診断されたときに「安心した」という患者はけっこういるのです。何だかわからない身体の不調が、病気として証明される。自分の身に起きていることが明らかになった安心感なのでしょうか。難病といわれる病気は、診断が出るまで数年という時間を要することもあります。中には、検査でもなかなかわからず「精神的なもの」とされることも多くあります。なので自分の感じている不調が病気と証明されることで安心するのです。不安になったり、つらいと感じるのはそれからのような気がします。
こんなふうに患者心理をくみ取れる医療者はあまりいないと思う。こんなに客観的に書ける患者もめったにいない。つらい闘病体験に加え、患者支援に熱く取り組んできた作業療法士だからこそ、体感できることだろう。「不安になったり、つらいと感じるのはそれから」は、心にずしんと響く。
入院病棟の訓練室。押富さんが大好きな職場だった
この押富さんのケースは、のちに担当教授が症例報告にまとめた。喘息では説明のつかない症状を、さまざまな可能性を考えて検討すべきだったのに、心身症を疑ったことが診断の遅れにつながったと指摘し「真の診療能力は、希少疾患あるいはまれな病態 の組み合わせ例において、その存在を早い段階で疑い、次にひとつひとつ解決する能力である」と、反省を込めてつづっている。
教授も認める診断の遅れについて、押富さんが病院や主治医を責めたりすることはなかった。
小さなころから「やさしくて頑固」。自分の納得できないことには本気で怒るが、専門分化した縦割りの診療科の中で起きてしまったエアポケットを、個人の責任にしたくはなかったようだ。そして過去の診断を恨むより「これからどうするか」に集中したことが、その後の闘病のエネルギーにつながったと思う。
主治医は、担当が神経内科に移ってからも押富さんのことを気にかけ、呼吸器症状に強い在宅診療医を紹介したり、その診療のお手伝いをしたりするようにもなった。活動を優先して入院を拒否する押富さんを本気で叱りつけることもあったという。「あの子(押富さん)は、どこ吹く風って感じでしたけどね」とたつ江さん。自分で決めることにこだわった彼女の生きざま、けんかしながら信頼関係を築ける人間性がうかがえるエピソードだ。
難病と診断されても、押富さんは「きっと治る」と考えていた。大好きな職場でこれからも長く働けると信じていた。
しかし、そこからの症状の進行は、激烈だった。
連載「人工呼吸のセラピスト」