キャリア・教育

2022.10.15 17:30

難病の診断に「ホッとした」理由 患者の心は揺れ動く|#人工呼吸のセラピスト


そして1カ月半の長期入院となった06年初めの“大発作”について、のちにブログでこう振り返っている。(カッコ内は筆者が補足)


だんだん息ができなくなっていった。

いつもの発作とは違い、ヒューヒュー音はしないのに息ができない。

サチュレーション(動脈血酸素飽和度)も次第に下がってきたようで、先生たちがあわただしくなった。

「大発作だ!!!」

そのときは、喘息の大発作という診断で緊急入院が決まった。

それから1カ月半、私は酸素につながれる生活を送ることになる。

呼吸器内科病棟に入院した。

入院中、複視(物が二重に見える)があったり、足に力が入らなくなったり、飲み込みがうまくできずご飯があまり食べられなくなった時期があった。

MG(重症筋無力症)とわかっている今思えば、このときすでに症状がかなり出ていたのだとわかる。

でも当時はこんな稀な病気の可能性など考えられておらず、複視はあまり目を使っていないから、脱力感はステロイドの副作用、嚥下困難は気持ちの問題と言われていた。

結局、呼吸困難がなくなった時点で退院することになった。

医師は喘息と診断したものの、喘息とは症状の出方が違い診断と合わなくなっているので首をかしげていた。

先生に言われはしなかったが、カルテには『詐病の疑いあり』と書かれていた。

自分の知識から外れると、精神的なものとか詐病とか言われてしまう現実を知った。


この文章は、その後、重度障害者になった押富さんが、09年末に闘病体験をまとめたシリーズの冒頭部分だ。「おっしー」というハンドルネームだけで本名を明かしておらず、医療スタッフの知らない「秘密のブログ」だった。

彼女は「映像記憶」の持ち主で、3年も前の入院風景も視覚的によみがえり、会話のやり取りも再現することができる。喘息では説明のつかない症状が強くなり、不安に揺れ動いていた日々を客観的に記述している。最も腹立たしかったのは、自分の訴えを心身症のように扱う主治医の態度だった。

同年3月に職場復帰したものの不調は続いた。朝食のトーストがのどにつかえて、うまく飲み込めなくなったり、病院の廊下のじゅうたんでつまずきそうになったり、体力の低下も感じていた。


押富さんが働いていた、偕行会リハビリテーション病院

『詐病じゃなかったでしょ!』


瞼が下がってくるようになって、姉で看護師の由紀さんが「ちょっとおかしいよ。ひょっとしたら重症筋無力症かも」と言い出し、姉妹で笑い合ったが、それが当たってしまった。

同病院の神経内科で検査を受け、この難病の疑いが濃厚になって、担当医が呼吸器内科の主治医に報告した。

「その時」をブログはこう再現している。


呼吸器内科の主治医のほうが私より驚いているようだった。

先生は言葉に詰まっていた。なんて言葉をかければいいのかわからないようだった。

「大変だったね」と言われた。

私は、心の中で『詐病じゃなかったでしょ!』と思っていたが、言葉に詰まっている先生を見て何とも言えない気持ちになる。それと同時に大変な病気になってしまったということを実感する。
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文=安藤明夫

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