そのことをケアラー本人に提案すると「自分たちのことは自分たちでやるから構わないでください」と言ってきたのだという。そこで、関係者が言葉を尽くして「こうすればみんな助かるのだから」と本人に説明した。末廣がその結果を次のように語る。
「最終的には、支援サービスを充実させることに同意してくれて、次の関係者が集まる会議にはケアラー自身も参加するようになりました。ところが、退院した親が今度は反対してきたのです。とはいえ、キーパーソンであるケアラー本人は理解してくれていて、何か問題があればすぐに相談してくれているので、ある意味で大きな一歩を踏み出せたと思います」
記者会見で窓口開設から1年を振り返る久元喜造神戸市長
昨年6月、神戸市役所に末廣が所属する専門部署が設置されたときは、テレビや新聞にも連日のようにとり上げられた。あたかも「水戸黄門の印籠」のように、支援を担当する職員が現場に介入できれば、ヤングケアラーの問題がたちまち解決するかのごとく報じられた。ところがケアラー本人に会わずにサポートしなければならない場面などもあり、実際はそのような容易いものではなかったのだ。
1年間支援を続けるなかで、なによりケアマネージャーをはじめ介護サービスや障害者サービスを提供する事業者など関係機関が話し合って、支援を充実させていく、この「回り道」にも見える間接的な方法が王道だということがわかってきたのだ。
しかも、関係者たちがこういった経験を積み重ねていくと、自分たちの支援している人たちの周りの家族も困っていないかを気にするようになるので、ケアラーを発見しやすくなるという効果もあることに気づいた。
とはいえ、ヤングケアラーの問題は、社会的にまだ十分に知られていないという状況に変わりはない。
相談窓口での1年間の活動でわかったことも、おそらくまだ氷山の一角に過ぎないだろうと考えている。そこで神戸市は、小学校区ごとに学習支援や食事の提供をする「子どもの居場所」を運営する地域団体やNPOからも情報を寄せてもらうなど、さらにケアラーの存在を掴もうとしている。
先の6月8日の記者会見では、神戸市の久元喜造市長も「とても難しい課題であるが、難しいからと言ってただ立ちつくすものではない。1人でも2人でも支援できるように職員が懸命に努力を重ねている」とあらためて決意を語った。
連載:地方発イノベーションの秘訣
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