彼女の名前は神澤由利。
自身の希望するマーケティングに関わることができていたにもかかわらず、留学を決めた神澤。
その決断は、自身が「進むべき道」を懸命に探していたからかもしれない。
だが現地で彼女は、マーケティングこそ自らの興味を最もくすぐるものだと再認識。帰国後、一直線にキャリアを形成していく。
彼女が選んだ道はソーシャルメディアマーケティング。
「これまで一度だって同じ1年はない」
現在、電通デジタル エクスペリエンスクリエイティブ部門 ソーシャルメディア事業部 第1グループのマネージャーを務める彼女のキャリアストーリーを紹介したい。
中国市場の熱があぶり出した、「私が挑戦したいこと」
神澤のキャリアは、新卒で入社したCRMソリューション会社からスタートする。メイン事業はコンタクトセンターのアウトソーシング。まず3年間営業として働き、その後、マーケティング職に異動。VOC(顧客の声)インサイトを分析してクライアントのマーケティング戦略に活かす業務に携わっていた。
「学生時代からマーケティングに興味があり、交換留学先のオーストラリアでマーケティングを専攻。消費者の購買意欲を向上させたり、売れる仕組みを作ったりすることに面白みを感じていました」
やりがいはあった。しかし3年後、神澤はこの企業を退職し中国へ渡った。ゆくゆくは地元で家業を継ぐことも視野に入れた選択だった。
「当時の中国は『世界の工場』と呼ばれ、あらゆるものの製造を担っていました。中国で製造現場とのつながりを作ることができれば、家業の将来にも活きるのではと考えたんです」
中国留学で得たものは何か、と聞くと神澤は「中国という広大な大地での多様性や日本にはないような人々の熱量に触れられたことが、何より刺激的だった」と答えた。
厳しい競争社会を肌で感じ、世界中から集まった留学生たちの多様な価値観にも触れることができた。それが、自らの探究心や向上心を掻き立てたという。
そしてこの留学は、神澤の分岐点となった。
神澤の目に映った中国は、もはや「世界の工場」ではなかったのだ。消費が過熱しうなぎ上りに成長する中国市場。そのエネルギーを目の当たりにし、「中国をマーケットと捉えたマーケティングに関わりたい」と考えるようになっていった。
帰国した神澤は、日本から中国への展開をまさにスタートしようとしているアパレル企業に入社。販売促進やPRとして、日本と中国マーケティングに携わった。
ここで初めて神澤は「ソーシャルメディアマーケティング」に触れる。
「中国進出に向けてブランドの打ち出し方を考え、SNSを使ってユーザーとコミュニケーションを作っていく。初めての挑戦で学ぶことばかりでしたが、どうしたらブランドを知ってもらい好きになってくれるか中国のユーザーインサイトを紐解き、コミュニケーションを考えていくことが面白かった」
1年後、「もっとさまざまな企業、業界のSNSに挑戦してみたい」と思うようになった神澤は、電通レイザーフィッシュに転職した。
「電通レイザーフィッシュを選んだのは、『デジタル領域におけるソーシャルメディアマーケティング×グローバル』を叶えられる唯一の企業だったから。2013年当時は、そもそもソーシャルメディアを専門とした部署がある企業がほとんどなく、私の希望を満たす企業は、電通レイザーフィッシュだけだったんです」
ソーシャルメディアの進化スピードに、振り落とされず進む
電通レイザーフィッシュに入社した神澤は、SNSマーケティングを専門領域として、あらゆる知識、スキルを身に付けていく。企業が次々にFacebookを通じたユーザーコミュニケーションを始めた時代。mixiからFacebookやTwitterへとSNSのトレンドが動き、神澤たちもその流れに乗って企業のSNSの活用や運用を手探りで進めた。
痛感したのは、SNSの世界は技術もトレンドも猛スピードで変化していくということ。デジタルの変化も速いがそれ以上のスピードがSNSにはあった。
「今や、SNS抜きにマーケティングは語ることはできません。そのくらいSNSは様々な領域と密接に関わり合い、影響を与えるメディアに成長しました。技術だけでなく、Facebook、Twitter、Instagram、LINE、TikTokと新たなプラットフォームやそこに集うコミュニティがどんどん作られていくのがSNS。
世界中の様々なプロモーション事例やユーザーが発信している内容を調査しつつ、新たな技術や情報をいち早く手に入れ、取り入れていかなくては、取り残されてしまいます」
日々学び続けた神澤は、「誰も正解を知らないSNSの世界で、あらゆる仮説を立てて挑戦を重ね、成功パターンを作っていくことが、大変だったけれど楽しかった」と語る。揺らがない彼女。しかしその歩みの周辺では、大きな変化が何度も起こっていた。
電通レイザーフィッシュは2015年に電通iXとなり、同年、アイソバー・ジャパンと合併して電通アイソバーに改称。2021年にはさらなる合併によって電通デジタルとなったのだ。
大きく変化する組織の中で、同社を去る者もいただろう。しかし、神澤は残った。そこにはどんな理由があったのだろうか。
「組織は確かに次々に変わっていきました。組織が大きくなり、体制も、一緒に働く人も変化した。多様なメンバーと一緒に試行錯誤しながら新しいチャレンジをしてきました。人が増えるたびに、新たな技術やスキルが社内で手に入るようになり、仕事のフィールドも広げていくことができたんです」
常に進化するSNSの世界。だからこそ自分も進化しなければならない。神澤は、組織の変化をも進化の一つだと感じているように見えた。
「ここで、もっとやりたいことがある」
神澤は、留まることなく常に前に進んでいたのだ。
何度も荒波を乗り越えたからこそ、次の波が楽しみになる
常に前向きな印象の神澤だが、これまで、たくさんの苦難も味わってきたという。
例えば、電通アイソバー時代には、自身がプロデューサーとなってクライアントと対峙しつつ、グローバルブランドのLINEアカウントをオープン。オープニングに当たり、オリジナルキャラクターを創り、そのキャラクターをフックに、全国の店舗でイベントを展開した。
当時、社内でも初めてのGoogle AIを使った動作を読み取ってキャラクターと会話しながら撮影ができるフォトブースを設置。新しいテクノロジーとクリエィティブを掛け合わせた施策を行なうなど挑戦続きの毎日を送った。
「グローバル企業のクライアントを相手に、デジタル領域だけでなくリアルイベントも手掛けるという、かなり高難易度の案件。海外とコミュニケーションを取りながらの進行で、本当に大変でしたが、社内各所からたくさんの協力を得て、どうにか成功にこぎ着けました。まさに社内連携の心強さを痛感した案件でしたね」
この経験があったから多少のことは乗り越えられたと笑う神澤は、経験を重ねることで、独自のプロデュース能力を得ていった。案件によって、どのプラットフォームを使い、何を仕掛けて、生活者の心を揺さぶるか。ベストな手法を見極められるようになったのだ。
現在は、エクスペリエンスクリエイティブ部門 ソーシャルメディア事業部 第1グループでグループマネージャーを担う神澤。SNSマーケティングのコンサルティングや運用サポート、One to Oneコミュニケーションプランの設計などに携わりつつ、グループメンバーの育成にも力を注いでいる。
「メンバーには得意分野を活かしつつ、未知の領域にも飛び込んでいける人になってほしいですね。SNSの世界には、今後もどんどん新たな波が起こっていきます。その波に乗って、新たな力を身に付けられるように、私もサポートをしていこうと思っています」
今後は、デジタルを起点に生活者とコミュニケーションが取れる新しいサービスをクライアントとつくっていきたいという。例えば、FemTech(フェムテック)と呼ばれる女性が抱える健康の課題をテクノロジーで解決できる商品やサービスとSNSを連携させ、よりパーソナルなサポートをするような仕組みを作ったり、共有しやすいコミュニティをSNS上に作っていくことだ。
デジタルの世界よりも、数段速いスピードで変化していくソーシャルメディアの世界。その中で神澤は逞しく泳ぎ続けてきた。それを叶えたのは、「まだ見ぬ世界を楽しみ、切り拓いていく力」に他ならない。
そしてそれこそが、変わりゆく時代、テクノロジー、トレンド、組織の中でブレることなく「自分らしいキャリア」を作るための源泉だったのではないだろうか。