近年、楽曲のライツ(権利)を高額で手放すミュージシャンたちが話題になっている。それも買い手がレコード会社だけではなく、資産運用会社だったりする。権利ビジネス激化の背景とは。
今から40年前、2年間にわたる世界ツアーを終えたミュージシャンの「ザ・ボス」こと、ブルース・スプリングスティーン(写真右上・72)は帰国すると、自身にとって初めての“ぜいたく”な買い物をした。1万ドルの1982年製シボレー・カマロZ28だ。
彼は、2016年に上梓した自伝『ボーン・トゥ・ラン』(邦訳:早川書房刊)の中で、「それまで新車を買ったことがなかった」と振り返っている。「1万ドルの買い物をしたことなんてなかった。だから、金色のロールス・ロイスに乗っている、と思うくらいぜいたくな気持ちになったよ」
でも、今の「ザ・ボス」ならそんな高級車をいくらでも買えるだろう。21年12月、彼は自分が作詞・作曲したすべての楽曲のマスター音源(原盤権)と版権を売却したのだ。買い手はソニーミュージックグループで、その額は税引前ながらフォーブスの推定で5億ドルに上る。
2022年2月には、英ロック・ミュージシャンのスティングも楽曲の著作権を推定3億5,000万ドルで売却(Photo by John Parra / Univision / Getty Images)
今、多くのミュージシャンが自身の音楽カタログを売却している。ボブ・ディランやポール・サイモン、ニール・ヤングなど、音楽業界の大御所たちが楽曲の権利と引き換えに大きな収入を得ているのだ。
「こうした取引は、過去と違って泥沼化していない。お互いが納得できるものになっている」と、半世紀以上もスプリングスティーンのマネジャーを務めてきたジョン・ランドーは語る。
これはある意味、“終活”に近い。多くが70〜80代にあり、ツアーで販促活動をせずに、確かな身入りが得られるわけだ。それに、今は売り手市場で、税率が上がる前に売却するのは賢い選択である。
一方の買い手側にとっては投資だ。デジタル配信市場が拡大するなか、名作なら今後も聴き継がれ、金のなる木になると読んでいる。前出のヤングの版権を獲得したヒプノーシス・ソングズ・ファンドの創業者マーク・マキュリアディスは、「名曲は、手堅い資産になりつつある」と語る。今では、資産運用大手のアポロやブラックストーン、KKRなども、音楽カタログがもたらす3年間の平均収益の15〜30倍も費やして楽曲のライツを購入している。
近年は映画やテレビ番組のライツにも高値が付き、コンテンツを巡る競争は激化する一方だ。それでも、ローリング・ストーンズやピンク・フロイド、イーグルスなどは今もカタログを所有している。音楽業界のライツ獲得競争は当分続くのかもしれない。
ブルース・スプリングスティーン◎1949年生まれの米ロック・ミュージシャン。アルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』などの世界的ヒットを連発し、99年には「ロックの殿堂」入りを果たす。2020年には、通算20作目のアルバム『レター・トゥ・ユー』を発表。ふだんは、収録やコンサートで演奏を務めるグループ「Eストリート・バンド」と活動を共にしている。