テクノロジー

2022.07.05 10:00

「宇宙でしかできないことがある」宇宙ビジネスコンサルタントが考える社会課題の解決【伊東せりか宇宙飛行士と考える地球の未来#8】


大貫さん:一つ目は、国際宇宙大学の窓口をやっていたことです。
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国際宇宙大学は世界で初めてできた大学院大学です。国際宇宙大学には衛星やロケットなど宇宙工学の学科だけではなく、Space Business and Management学科もありました。だから、政府主導の宇宙開発が中心だった時代から、宇宙ビジネスが身近だったんです。

二つ目は宇宙ホテル構想を提案したことです。1950年代にフォン・ブラウン博士が宇宙ステーションの構想を発表し、1960年代にはジェラード・オニール博士がスペースコロニーを提唱していました。このようにアカデミアの世界では、宇宙での暮らしの構想が発表されたことがあったのですが、企業が宇宙ホテルを提案したのは世界初でした。1991年のことです。

せりか:産業界で初めて宇宙ホテルを提案したのは清水建設だったんですか!?
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大貫さん:はい。宇宙ホテルがあれば、宇宙飛行士だけでなく、一般の人も宇宙に滞在できると、社内の横断組織で宇宙居住施設の設計や工法、そして宇宙旅行についての検討を行いました。その後、宇宙での衣食住についてJAXA(当時NASDA)と共同研究をする機会にも恵まれました。


宇宙ホテルのイメージ(c)清水建設

展示会に宇宙ホテルを出展したときに、宇宙開発の中心的な企業の社長さんが来てくださって「エプロンをした主婦が宇宙に行く時代になるね」なんて声をかけてくださったんですよ。偉い方がこんなに柔らかい言葉で接してくれるなんて、嬉しくて、嬉しくて!この出来事は私の宝物です。

せりか:それは素敵なお話ですね! 宇宙が身近に感じられた瞬間だったのではないかと思います。宇宙の仕事を続けることになった三つ目のきっかけは何ですか?

大貫さん:1990年代に世界で初めて民間企業が有人宇宙飛行に挑戦するAnsari X Prizeというコンテストが開始されました。2004年に宇宙に到達して10Mドルの賞金を獲得するフライトを見ることができたんですよ。そのときに、政府主導の宇宙開発から民間主導へと潮目が変わると思ったのです。これが民間の宇宙の取り組みを応援しようと独立する転機にもなりました。
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