シャーロック・ホームズと互角に張り合えるほど何も見逃さないタイプだろうか? それとも頭にヒントが落ちてきても気づかないような、何も目に入らない人だろうか?
私は「〇〇であることに気づきました」というふうに「気づく」という言葉をとても頻繁に使うことを友人から指摘されたことがある。これは、私が受けた中で特にすばらしい褒め言葉の一つだ。彼は私が物事に注意を払い、さらに重要なこととして行動を起こしていると説明した。
この「行動を起こす」部分が重要な理由は何だろう?
何かを観察するだけなら見物人にしかならないが、行動を取れば一歩先に踏み出し、その見解を使って目的を達成して、前向きな変化をもたらすことができる。
前者は受動的で、後者は能動的だ。
つまり、キャリアを前進させるには、この「注意」と「意図」を組み合わせることが重要だ。
これら二つの重要要素をそれぞれ分解してみよう。
「注意」とは、焦点を定めた取り組みのことを指す。これは時間や労力を厳しく選別して目標と合致させることを指し、求めるものの達成を妨げている要素を人生から排除することを意味する。もはや自分の役に立たないものを拒否することで、自分の役に立つものを受け入れることができる。
注意を払えば、他者に対する尊重の気持ちを示すことも可能だ。この世界には非常に多くの雑音があり、他者の声を聞きづらい理由には事欠かない。上司や同僚、顧客の話を能動的に聞けば、相手のことを最も大事に思っていることを示せる。
最後に、注意を払うことで他者が見逃してしまいかねないパターンやミス、新たな機会に気づく可能性が高まる。自由に気づくことができるよう、邪魔になるものを最小限に抑えられた環境を作ろう。
一方、「意図」とは求めるものに全力を注ぎ特定の結果を出すと誓うことで、大きな目標は毎日意識するものに変換される。このためには、自分の心に響くようなリマインダーを作り、新たなアイデアを長期的な習慣に変える一貫した訓練が必要だ。
意図は優柔不断なものではない。意図を持つには自分が求めているものや達成したいことについて明確にする必要がある。そうすれば、意図は達成のための揺るぎない決意を持たせてくれる。しかしこれには、代替的で、時にはさらに良い選択肢を生むための開放性も十分にある。意図は行動志向で、意図を持てば恐怖にたじろぐことはない。
それぞれの要素が重要だが、意図を持たない注意には意味がない。